胎盤を越えない薬を選べ―妊娠中の高血糖にインスリンが選ばれる理由
第103回医師国家試験 A問題 第33問
国試問題にチャレンジ
25歳の女性。妊娠28週の妊婦健康診査で,初めて血糖高値を指摘され来院した。母親が糖尿病である。身長156cm,体重60kg。尿所見:蛋白(-),糖2+,ケトン体(-)。食後2時間血糖172mg/dL,HbA1c 6.8%。眼底に異常を認めない。 治療薬として適切なのはどれか。
- a.インスリン
- b.チアゾリジン薬
- c.ビグアナイド薬
- d.スルホニル尿素薬
- e.αグルコシダーゼ阻害薬
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
妊娠中期以降は胎盤ホルモンなどの影響でインスリン抵抗性が強まり、糖尿病の家族歴や肥満などの危険因子がある女性では高血糖が顕在化しやすくなります。妊娠中の高血糖は妊娠糖尿病、妊娠中の明らかな糖尿病(HbA1c 6.5%以上など)、糖尿病合併妊娠に分類されますが、いずれも巨大児や新生児低血糖などを防ぐために厳格な血糖管理が必要です。食事療法で目標に届かなければ薬物療法を行い、その基本は胎盤をほとんど通過せず用量を細かく調整できるインスリンです。SU薬、ビグアナイド薬、チアゾリジン薬、αグルコシダーゼ阻害薬などの経口血糖降下薬は、胎盤移行や安全性の問題から、わが国では妊婦の治療に原則として用いません。分娩後のインスリン必要量の急減や、将来の2型糖尿病リスクを見据えた産後の再評価まで含めて理解しておくことが、母児双方を守る診療につながります。
解答・解説
正解はaです
所見の整理
・25歳女性、妊娠28週。妊婦健康診査で初めて血糖高値を指摘された。 ・母親が糖尿病であり、2型糖尿病の家族歴がある。 ・身長156cm、体重60kg(妊娠28週時点)。 ・尿糖2+、尿蛋白陰性、尿ケトン体陰性。 ・食後2時間血糖172mg/dL、HbA1c 6.8%。 ・眼底に異常なし(糖尿病網膜症はない)。
病態の考え方
妊娠中期以降は、胎盤から分泌されるヒト胎盤ラクトゲン(hPL)、プロゲステロン、コルチゾールなどの作用でインスリン抵抗性が強まる。インスリン分泌の予備能が十分でない女性(糖尿病の家族歴、肥満などが危険因子)では、この時期に耐糖能異常が顕在化しやすい。妊娠24〜28週頃に血糖のスクリーニングを行うのはこのためである。 妊娠中に見つかる高血糖は、次のように分けて考える。 ・妊娠糖尿病:妊娠中に初めて発見・発症した、糖尿病に至っていない軽い糖代謝異常。75g経口ブドウ糖負荷試験(75gOGTT)で空腹時92mg/dL以上、1時間値180mg/dL以上、2時間値153mg/dL以上のいずれか1つ以上を満たすもの。 ・妊娠中の明らかな糖尿病:妊娠中に見つかったが、糖尿病と同等の高血糖を示すもの(空腹時血糖126mg/dL以上、HbA1c 6.5%以上など)。 ・糖尿病合併妊娠:妊娠前から糖尿病と診断されていたもの。 本例はHbA1cが6.8%と6.5%以上であり、妊娠前から未診断の糖尿病が存在していた可能性も含め、「妊娠中の明らかな糖尿病」に相当する。いずれに分類されても、母体・胎児の合併症を防ぐために厳格な血糖管理が必要という点は共通である。
設問の考え方
妊娠中の高血糖は、巨大児、肩甲難産、新生児低血糖、新生児呼吸窮迫症候群、妊娠高血圧症候群、羊水過多などのリスクを高める。治療はまず食事療法(分割食など)で行い、目標血糖値を達成できなければ薬物療法を行う。妊娠中の薬物療法の基本はインスリンである。インスリンは分子量が大きく胎盤をほとんど通過しないため胎児への直接作用がなく、用量調整で細かな血糖管理が可能だからである。経口血糖降下薬は胎盤移行や胎児への安全性の問題があり、わが国では妊婦には用いない。本例は食後2時間血糖172mg/dLと高値で、HbA1cも6.8%であるため、食事療法に加えてインスリンによる治療が適切である。
選択肢考察
- ○a. インスリン
適切である。インスリンは分子量約5,800のペプチドホルモンで、胎盤をほとんど通過しないため、母体の血糖を下げても胎児に直接作用せず、催奇形性や胎児・新生児低血糖の心配が少ない。肝臓での糖新生・糖放出を抑え、筋や脂肪組織での糖の取り込みを促して血糖を下げる。妊娠経過とともにインスリン抵抗性が増すため必要量は増加していくが、インスリンは量を柔軟に調整でき、この変化に対応できる。食後高血糖が目立つ場合は各食前の超速効型(または速効型)インスリンを中心に、空腹時血糖も高ければ持効型などを組み合わせる。妊娠中の目標は、空腹時血糖95mg/dL未満、食後2時間値120mg/dL未満程度とされる。
- ×b. チアゾリジン薬
不適切である。チアゾリジン薬(ピオグリタゾン)は核内受容体PPARγ(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ)に作用し、脂肪細胞の分化を促してインスリン抵抗性を改善する経口薬である。動物実験で胎児への影響が報告されており、妊婦・妊娠の可能性のある女性には禁忌とされる。副作用として体液貯留による浮腫・心不全増悪もある。
- ×c. ビグアナイド薬
不適切である。ビグアナイド薬(メトホルミンなど)は主に肝臓での糖新生を抑制し、インスリン抵抗性を改善して血糖を下げる経口薬である。胎盤を通過して胎児に移行するうえ、妊娠中の使用による児への長期的な安全性は十分に確立しておらず、わが国では妊婦の血糖管理には原則として用いずインスリンを使う。海外では妊娠糖尿病で使われることもあるが、国家試験の範囲では妊娠中の第一選択はインスリンと理解しておく。まれだが重篤な副作用として乳酸アシドーシスがある。
- ×d. スルホニル尿素薬
不適切である。スルホニル尿素(SU)薬は膵β細胞のSU受容体に結合してATP感受性カリウムチャネルを閉じ、血糖値にかかわらずインスリン分泌を促進する経口薬である。胎盤を通過して胎児の膵β細胞も刺激しうるため、胎児の高インスリン血症や出生後の遷延する新生児低血糖を起こすおそれがあり、わが国では妊婦に禁忌とされる。母体側でも低血糖を起こしやすい。
- ×e. αグルコシダーゼ阻害薬
不適切である。αグルコシダーゼ阻害薬(アカルボース、ボグリボース、ミグリトール)は小腸刺激上皮の二糖類分解酵素を阻害して糖の吸収を遅らせ、食後高血糖を抑える経口薬である。消化管からの吸収がわずかで理論上は胎児への影響が少ないとも考えられるが、妊娠中の安全性は確立されていない。作用も比較的弱く、腹部膨満・放屁増加などの消化器症状がある。妊娠中に厳格な血糖管理を行う手段としては適さず、インスリンが選択される。
妊娠中の糖代謝異常の分類と診断基準(日本糖尿病・妊娠学会など)
1. 妊娠糖尿病(GDM):75gOGTTで次の1点以上を満たす。空腹時92mg/dL以上、1時間値180mg/dL以上、2時間値153mg/dL以上。 2. 妊娠中の明らかな糖尿病:空腹時血糖126mg/dL以上、またはHbA1c 6.5%以上。随時血糖200mg/dL以上や75gOGTT 2時間値200mg/dL以上の場合は、上記いずれかを満たすか確認する。 3. 糖尿病合併妊娠:妊娠前から既に診断されている糖尿病、または確実な糖尿病網膜症があるもの。
妊娠中の高血糖が母児に及ぼす影響
・母体:妊娠高血圧症候群、羊水過多、流早産、尿路感染症、糖尿病網膜症・腎症の悪化、ケトアシドーシス。 ・胎児・新生児:妊娠初期の高血糖では先天奇形・流産(糖尿病合併妊娠で問題となる)。中期以降では巨大児(母体高血糖→胎児高血糖→胎児高インスリン血症による過成長)、肩甲難産、新生児低血糖、新生児呼吸窮迫症候群、多血症、高ビリルビン血症、低カルシウム血症、胎児死亡など。
治療
・食事療法:妊娠中は胎児の発育に必要なエネルギーを確保しつつ、1日の摂取量を4〜6回に分ける分割食で食後高血糖を抑える。 ・薬物療法:目標血糖値(空腹時95mg/dL未満、食後1時間値140mg/dL未満または食後2時間値120mg/dL未満程度)に達しなければインスリンを導入する。 ・産後:妊娠糖尿病は分娩後に耐糖能が改善することが多いが、将来の2型糖尿病発症リスクが高いため、産後6〜12週頃に75gOGTTで再評価し、その後も定期的な経過観察を行う。
POINT
・妊娠中の血糖管理で薬物療法が必要なときはインスリンを用いる(胎盤をほとんど通過しない)。 ・経口血糖降下薬(SU薬、ビグアナイド薬、チアゾリジン薬、αグルコシダーゼ阻害薬など)は、わが国では妊婦の治療に用いない。 ・妊娠糖尿病の診断(75gOGTT):空腹時92以上、1時間値180以上、2時間値153以上(mg/dL)のいずれか1点以上。 ・HbA1c 6.5%以上や空腹時血糖126mg/dL以上なら「妊娠中の明らかな糖尿病」として扱う。 ・妊娠中期以降は胎盤ホルモンによりインスリン抵抗性が増し、インスリン必要量が増加する。
