付け替えて終わり、ではない―ネームバンドの名前違いとインシデントレポート
第120回医師国家試験 B問題 第44問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,43,44の問いに答えよ。 15歳の男子。顔面の痛みを主訴に救急車で搬入された。 現病歴:野球の試合中に打球が左眼周囲に当たり,顔面の痛みを訴えた。受傷時の意識消失はなく,受傷前後の記憶障害もない。 既往歴:特記すべきことはない。 生活歴:特記すべきことはない。 家族歴:父親に高血圧症。 現症:意識は清明。身長166cm,体重45kg。体温36.8℃。心拍数96/分,整。血圧102/60 mmHg。呼吸数20/分。SpO2 98%(room air)。眼位は正中で瞳孔不同もないが複視を認める。左眼の眼球運動で上転障害を認めた。眼周囲に擦過傷を認めるが明らかな活動性の出血を認めない。鼻の変形と鼻出血は認めない。開口障害と咬合異常は認めない。左眼周囲の感覚の低下を認めるが,その他の神経学的所見に異常は認めない。心音と呼吸音とに異常を認めない。腹部は平坦,軟で,肝・脾を触知しない。明らかな四肢麻痺を認めない。 検査所見:血液所見:赤血球460万,Hb 14.6g/dL,Ht 42%,白血球6,800,血小板28万。血液生化学所見:総蛋白6.0g/dL,アルブミン3.4g/dL,総ビリルビン0.5mg/dL,AST 21U/L,ALT 11U/L,LD 225U/L(基準124~222),CK 120U/L(基準59~248),尿素窒素10mg/dL,クレアチニン1.0mg/dL,尿酸6.3mg/dL,血糖98mg/dL,Na 138mEq/L,K 4.4mEq/L,Cl 106 mEq/L。CRP 0.9mg/dL。
この患者の入院が決定し,救急外来から病棟へ入室した。担当研修医が患者のネームバンドを確認したところ名前が異なっていた。状況を指導医に報告しネームバンドを正しいものに変更した。 次にとるべき対応はどれか。
- a.保健所に報告する。
- b.特に対応は必要ない。
- c.医療事故調査を依頼する。
- d.インシデントレポートを提出する。
- e.ソーシャル・メディアに投稿する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
ネームバンドの名前違いのように、誤りが患者に実害を及ぼす前に発見された事例はインシデント(ヒヤリ・ハット)にあたり、正しいものに付け替えて指導医に報告した後、医療安全管理部門へインシデントレポートを提出します。インシデントレポートの目的は個人の責任追及ではなく、事例を分析して手順や確認体制を見直し、再発を防ぐことにあります。保健所への届出は感染症や食中毒などが対象であり、医療事故調査制度は医療に起因する予期しなかった死亡・死産が対象なので、本例には該当しません。患者情報のソーシャル・メディアへの投稿は守秘義務違反です。患者に名乗ってもらい複数の識別子で照合するという基本を徹底し、小さなヒヤリ・ハットを確実に報告する姿勢が、重大な医療事故を防ぐ土台になります。
解答・解説
正解はdです
症例の背景
共通の症例は、野球の打球が左眼部に当たった15歳男子である。左眼の上転障害とそれによる複視、左眼周囲(眼窩下神経領域)の感覚低下があり、意識障害・鼻の変形・開口障害・四肢麻痺などは否定されていることから、左眼窩底骨折(眼窩吹き抜け骨折)と考えられ、入院となった。本問はその入院の過程で起きた医療安全上の出来事への対応を問うている。
起きた出来事の整理
・病棟入室時、担当研修医がネームバンドを確認したところ、記載された名前が患者本人のものではなかった。 ・研修医は指導医に報告し、ネームバンドは正しいものに付け替えられた。 ・誤ったネームバンドのまま検査・投薬・手術などが行われる前に発見されており、患者に実害は生じていない。
考え方
ネームバンドは患者を確実に識別するための基本的な安全装置であり、名前の誤りは、他人の薬剤の投与、輸血の取り違え、別の患者の手術(患者取り違え)といった重大事故に直結しうる。今回は実害が生じる前に発見された「ヒヤリ・ハット」の事例であり、医療安全の用語ではインシデントに該当する。 インシデントは、患者に害が及ばなかったからといって、その場で修正して終わりにしてよいものではない。どこで取り違えが起きたのか(救急外来での受付・印刷・装着の手順、確認の方法など)を組織として分析し、再発防止策を講じるために、医療安全管理部門へインシデントレポートを提出する。インシデントレポートは個人の責任追及や処罰を目的とするものではなく、事例を集めて共有し、システムの改善につなげるためのものである。研修医であっても、発見・関与した職員が報告するのが原則である。 したがって、ネームバンドを付け替えた後に次にとるべき対応は、インシデントレポートの提出である。
選択肢考察
- ×a. 保健所に報告する。
保健所への届出が求められるのは、感染症法に基づく感染症の発生届や、食中毒の届出などである。院内で起きた患者識別の誤りは、実害のないインシデントであれば院内の医療安全管理の枠組みで報告・分析するものであり、保健所へ報告する必要はない。
- ×b. 特に対応は必要ない。
ネームバンドを正しいものに付け替えたことで、目の前の問題は解消している。しかし取り違えが起きた原因は残ったままであり、放置すれば同じ誤りが別の患者で再び起こり、次は誤投薬や患者取り違え手術のような実害につながるおそれがある。実害がなかった事例こそ、報告して原因を分析し再発防止に役立てる必要があるため、「対応不要」は誤りである。
- ×c. 医療事故調査を依頼する。
医療法に基づく医療事故調査制度(2015年開始)の対象は、医療に起因する(または起因すると疑われる)死亡・死産で、管理者がその発生を予期しなかったものである。該当する場合、医療機関は医療事故調査・支援センターへ報告し、院内調査を行う。本例は死亡どころか患者に何の害も生じていないため、医療事故調査の対象にはならない。
- ○d. インシデントレポートを提出する。
ネームバンドの名前の誤りは、患者に誤った医療行為が行われる前に発見されており、実害のないインシデント(ヒヤリ・ハット)に該当する。指導医への報告とネームバンドの修正という応急的な対応を終えたら、次に院内の医療安全管理部門へインシデントレポートを提出する。報告された事例は、取り違えが生じた手順や確認体制の問題点の分析と、再発防止策の立案・共有に用いられる。
- ×e. ソーシャル・メディアに投稿する。
医療従事者には業務上知り得た患者情報を漏らさない守秘義務がある(医師については刑法の秘密漏示罪にも定められている)。また個人情報保護の観点からも、患者や院内の出来事をソーシャル・メディアに投稿することは、匿名化したつもりでも個人が特定されるおそれがあり、不適切である。医療安全上の出来事は院内の正式な報告経路で扱う。
インシデントとアクシデント
・インシデント(ヒヤリ・ハット):誤りや不適切な事態が発生したが、患者に実施される前に発見された、または実施されたが患者に害が生じなかったもの。例:ネームバンドの名前の誤りに装着後すぐ気づいた、薬剤の取り違えに投与前に気づいた。 ・アクシデント(医療事故):医療の過程で患者に何らかの害(傷害、後遺症、死亡など)が生じたもの。過失の有無は問わない。例:取り違えた薬剤を実際に投与して副作用が出た。 両者を分ける最も大きな点は、患者に実害が生じたかどうかである。多くの医療機関では影響の大きさを段階(レベル)に分けて報告する仕組みを採用しており、いずれの段階でも報告が求められる。
インシデントレポートの目的
・個人の責任追及ではなく、事例を収集・分析して組織のシステムを改善し、再発を防ぐこと。 ・ハインリッヒの法則(1件の重大事故の背後には29件の軽微な事故と300件のヒヤリ・ハットがあるとする経験則)に示されるように、ヒヤリ・ハットの段階で対策をとることが重大事故の予防につながる。 ・報告しやすい文化(非懲罰的な報告制度)が重要とされる。
医療事故調査制度
2015年10月に施行された医療法上の制度。医療に起因する(または起因すると疑われる)死亡・死産であって、管理者が予期しなかったものが対象となる。医療機関の管理者は、遺族への説明のうえ医療事故調査・支援センターに報告し、院内調査を行い、その結果をセンターと遺族に報告する。
患者誤認防止の基本
・患者本人に氏名(可能なら生年月日も)を名乗ってもらう。医療者が名前を呼んで「はい」と答えてもらうだけの確認は不十分である。 ・ネームバンドなど2つ以上の識別子(氏名、生年月日、ID番号など)で照合する。 ・検査、投薬、輸血、手術などの行為の直前ごとに確認する。 ・意識障害や小児など自ら名乗れない患者では、ネームバンドによる確認が特に重要となる。
POINT
・インシデント=実害なし(ヒヤリ・ハット)、アクシデント=実害あり。区別の鍵は患者への害の有無。 ・実害がなくても、応急の修正後にインシデントレポートを提出する。目的は責任追及ではなく再発防止。 ・医療事故調査制度の対象は、医療に起因する予期しなかった死亡・死産であり、本例は該当しない。 ・患者情報のソーシャル・メディアへの投稿は守秘義務違反。 ・患者確認は本人に名乗ってもらい、ネームバンドなど複数の識別子で照合する。
