「通帳を盗られた」の裏にあるもの―物盗られ妄想から読み解くAlzheimer型認知症と治療薬
第120回医師国家試験 A問題 第21問
国試問題にチャレンジ
83歳の男性。自分の持ち物を盗られると訴えるようになり,対応に困った家族に連れられ受診した。1年前から物忘れが目立つようになった。次第に意欲が低下し,散歩に行かずに寝ていることが多くなった。2か月前から金銭に対する執着が強くなり,預金通帳や印鑑をしまい忘れては誰かに盗まれたと訴えるようになった。既往歴と家族歴に特記すべきことはない。意識は清明。脳神経,四肢の運動と感覚に異常を認めない。Mini-Mental State Examination 〈MMSE〉18点(30点満点)。血液生化学所見に異常を認めない。頭部単純MRIのT1強調像(A)と脳血流SPECT(B)とを下に示す。 治療薬はどれか。

- a.ジアゼパム
- b.ドネペジル
- c.パロキセチン
- d.ワルファリン
- e.レボドパ〈L-dopa〉
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
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ドクター
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ドクターまとめ
意識清明下で年単位に進行する記憶障害に、物盗られ妄想やアパシーを伴い、MRIで海馬萎縮、脳血流SPECTで頭頂葉・後部帯状回・楔前部の血流低下を認めれば、Alzheimer型認知症と診断できます。病態の中心にアセチルコリン作動性神経の障害があるため、コリンエステラーゼ阻害薬のドネペジルが治療の柱となり、ほかにガランタミン、リバスチグミン、NMDA受容体拮抗薬のメマンチンがあります。一方、ベンゾジアゼピン系薬や抗コリン作用の強い薬は認知機能悪化やせん妄、転倒の原因となるため高齢者では避け、レボドパは妄想を悪化させうる点に注意が必要です。抗アミロイドβ抗体薬は軽度認知障害〜軽度認知症が対象でARIAの監視を要し、物盗られ妄想などの行動・心理症状にはまず非薬物的対応を行います。画像と症状から病型を見きわめ、病態に合った薬を選び、使うべきでない薬も避けるという考え方は、高齢者医療の基本です。
解答・解説
正解はbです
所見の整理
・83歳の男性。1年前から物忘れが目立ち、徐々に進行している(緩徐進行性の記憶障害)。 ・意欲が低下し、散歩に行かず寝ていることが多くなった(アパシー)。 ・2か月前から、通帳や印鑑をしまい忘れては「誰かに盗まれた」と訴える(物盗られ妄想)。 ・意識は清明で、脳神経・運動・感覚に異常がない(麻痺やパーキンソニズムなどの局所神経症状がない)。 ・MMSE(Mini-Mental State Examination)18点/30点と認知機能が低下している(一般に23点以下で認知症を疑い、本例は中等度の範囲)。 ・血液生化学所見に異常はなく、甲状腺機能低下症や電解質異常などの代謝性要因を示唆するデータはない。 ・頭部MRI T1強調像では両側海馬を含む側頭葉内側の萎縮、脳血流SPECTでは頭頂葉(頭頂連合野)、後部帯状回・楔前部の血流低下がみられる。
診断へのプロセス
意識清明下で、記憶障害を中心とする認知機能障害が年単位で緩徐に進行し、日常生活に支障をきたしているため、せん妄ではなく認知症と考えられる。 原因疾患の鑑別として、頻度の高い4つの認知症を考える。 ・Alzheimer型認知症: 近時記憶障害で始まり緩徐に進行する。物盗られ妄想はしまい忘れに由来する本症に比較的特徴的な精神症状で、アパシーもよくみられる。画像では海馬萎縮、SPECTで頭頂葉・後部帯状回・楔前部の血流低下が典型的である。本例はすべて合致する。 ・血管性認知症: 脳梗塞や白質病変などの画像所見と、局所神経症状や段階的な悪化を伴うことが多い。本例には該当しない。 ・Lewy小体型認知症: 認知機能の変動、具体的で鮮明な幻視、パーキンソニズム、レム睡眠行動異常症が中核的特徴で、SPECTでは後頭葉の血流低下がみられ、海馬は比較的保たれる。本例には該当しない。 ・前頭側頭型認知症: 比較的若年に発症し、人格変化・脱抑制・常同行動などの行動異常や言語障害が前景に立つ。画像では前頭葉・側頭葉前部の萎縮・血流低下を示す。本例とは合わない。 また、治療可能な認知症(甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏、慢性硬膜下血腫、特発性正常圧水頭症など)は、血液検査とMRI所見から否定的である。 以上からAlzheimer型認知症と診断する。
設問の考え方
Alzheimer型認知症では、脳内のアセチルコリン作動性神経(マイネルト基底核から大脳皮質・海馬へ投射する)が早期から障害され、アセチルコリンが減少する。この不足を補う対症療法として、アセチルコリンの分解酵素を阻害するコリンエステラーゼ阻害薬が治療の中心となる。選択肢の中では、ドネペジルがこれに該当する。
選択肢考察
- ×a. ジアゼパム
ジアゼパムはベンゾジアゼピン系薬で、抗不安作用、鎮静・催眠作用、筋弛緩作用があり、静注でてんかん重積状態などのけいれんの治療にも用いられる。認知機能の改善作用はなく、むしろ高齢者や認知症患者では、認知機能の悪化、せん妄の誘発、ふらつきによる転倒・骨折、過鎮静、呼吸抑制などをきたしやすい。ジアゼパムは半減期が長く、高齢者では体内に蓄積しやすい点も問題で、認知症の治療薬として用いるのは不適切である。
- ○b. ドネペジル
ドネペジルはコリンエステラーゼ(アセチルコリンエステラーゼ)阻害薬で、シナプス間隙でのアセチルコリンの分解を抑えて濃度を高め、コリン作動性神経の伝達を補う。Alzheimer型認知症の認知機能障害の進行を一時的に緩やかにする対症療法薬であり、わが国では軽度から高度まですべての重症度に適応がある。またLewy小体型認知症にも適応がある。主な副作用は、悪心・嘔吐・食欲低下・下痢などの消化器症状、コリン作動性作用による徐脈・房室ブロック・QT延長などの循環器症状、興奮・易怒性などである。本例はAlzheimer型認知症であり、治療薬として適切である。
- ×c. パロキセチン
パロキセチンは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)で、うつ病、パニック障害、社交不安障害、強迫性障害などに用いられる。本例の意欲低下は認知症に伴うアパシーと考えられ、抑うつ気分などうつ病を示す記載はない。さらにパロキセチンは抗コリン作用がSSRIの中では比較的強く、アセチルコリン不足が病態の中心にある認知症の高齢者では認知機能を悪化させるおそれがある。副作用として悪心、眠気、めまいなどのほか、まれにセロトニン症候群、若年者では自殺念慮の増加などが知られる。Alzheimer型認知症の治療薬ではない。
- ×d. ワルファリン
ワルファリンはビタミンKの作用に拮抗し、肝臓でのビタミンK依存性凝固因子(第Ⅱ・Ⅶ・Ⅸ・Ⅹ因子)の産生を抑える経口抗凝固薬である。機械弁置換後の血栓塞栓予防、心房細動に伴う心原性脳塞栓症の予防、深部静脈血栓症・肺塞栓症の治療などに用いられる(非弁膜症性心房細動や静脈血栓塞栓症では現在、直接経口抗凝固薬〈DOAC〉が多く用いられる)。認知症の治療効果はない。高齢のAlzheimer型認知症患者では脳アミロイド血管症を伴うことが多く、抗凝固薬は脳出血のリスクを高める点にも注意が必要である。
- ×e. レボドパ〈L-dopa〉
レボドパはドパミンの前駆物質で、脳内でドパミンに変換されて不足を補う、Parkinson病治療の中心となる薬である。Lewy小体型認知症でパーキンソニズムが日常生活の妨げになる場合に用いることはあるが、幻覚・妄想を悪化させやすい。本例はパーキンソニズムを認めず、Alzheimer型認知症の治療薬としては不適切である。むしろ物盗られ妄想を悪化させるおそれがある。
Alzheimer型認知症の概要
・認知症の原因疾患として最も多い。大脳にアミロイドβの蓄積(老人斑)と、リン酸化タウの蓄積(神経原線維変化)が生じ、神経細胞が脱落する。 ・症状: 近時記憶障害で発症し、見当識障害(時間→場所→人の順に障害されやすい)、遂行機能障害、視空間認知障害、失語・失行・失認へと進行する。取り繕い反応や、物盗られ妄想、アパシー、徘徊などの行動・心理症状(BPSD)を伴う。初期には運動麻痺やパーキンソニズムなどの神経症状は目立たない。 ・画像: MRIで海馬・側頭葉内側の萎縮(VSRADなどで定量評価)、脳血流SPECTやFDG-PETで頭頂葉、後部帯状回、楔前部の血流・代謝低下。アミロイドPETでアミロイドβの沈着を確認できる。 ・髄液検査: アミロイドβ42の低下、総タウ・リン酸化タウの上昇。
Alzheimer型認知症の薬物療法
・コリンエステラーゼ阻害薬: ドネペジル(軽度〜高度。貼付剤もある)、ガランタミン(軽度〜中等度)、リバスチグミン(軽度〜中等度。貼付剤)。 ・NMDA受容体拮抗薬: メマンチン(中等度〜高度)。グルタミン酸による過剰な神経刺激を抑える。コリンエステラーゼ阻害薬と併用できる。 ・これらはいずれも症状の進行を一時的に緩やかにする対症療法であり、病気の進行そのものを止めるものではない。 ・抗アミロイドβ抗体薬: レカネマブ、ドナネマブ。脳に蓄積したアミロイドβを除去し、病気の進行を遅らせることを目的とする。アミロイドPETまたは髄液検査でアミロイドβの蓄積が確認された、Alzheimer病による軽度認知障害(MCI)および軽度の認知症が対象で、本例のような中等度の認知症(MMSE 18点)は適応外である。わが国の基準ではレカネマブはMMSE 22点以上、ドナネマブは20〜28点が目安とされる。副作用としてアミロイド関連画像異常(ARIA:脳浮腫・滲出〈ARIA-E〉や微小出血・脳表ヘモジデリン沈着〈ARIA-H〉)があり、定期的なMRI監視が必要である。
BPSDへの対応
物盗られ妄想や興奮などのBPSDには、まず環境調整や介護者への助言など非薬物的対応を行う。薬物療法が必要な場合も、少量・短期間とし、抗コリン作用の強い薬やベンゾジアゼピン系薬はできるだけ避ける。抗精神病薬は高齢認知症患者で死亡率を上昇させることが知られており、慎重に用いる。
POINT
・緩徐進行性の記憶障害+物盗られ妄想+海馬萎縮+頭頂葉・後部帯状回の血流低下 → Alzheimer型認知症。 ・治療薬: コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)とNMDA受容体拮抗薬(メマンチン)。ドネペジルは軽度〜高度すべてに適応があり、Lewy小体型認知症にも使える。 ・ドネペジルの副作用: 消化器症状、徐脈・伝導障害、興奮。 ・抗アミロイドβ抗体薬(レカネマブ、ドナネマブ)はMCI〜軽度認知症が対象で、ARIAに注意。 ・高齢・認知症患者ではベンゾジアゼピン系薬や抗コリン作用の強い薬(パロキセチンなど)は認知機能悪化・せん妄・転倒の原因となるため避ける。
