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60年で40分の1―グラフの「出発点の高さ」が語る妊産婦死亡率の劇的改善

第109回医師国家試験 E問題 第8問

国試問題にチャレンジ

第109回 E問題 第8問

 我が国の合計特殊出生率,妊産婦死亡率,新生児死亡率,乳児死亡率,死産率の推移を別に示す。それぞれ2010年における数値を1としたときの1950年からの変化である。  妊産婦死亡率はどれか。

第109回 E問題 第8問の問題画像
  1. a.①
  2. b.②
  3. c.③
  4. d.④
  5. e.⑤

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は、戦後日本の母子保健指標の推移を比べるグラフ問題だ。ポイントは縦軸の意味。どの線も2010年の値を1にそろえてあるから、実数ではなく「どれだけ変化したか」を比べる図になっている。まずはこの読み方から整理しよう。
医学生医学生
2010年が1なので、1950年の位置が高い線ほど、昔は今よりずっと値が大きかったということですね。
ドクタードクター
その通り。1950年の高さは「1950年の値が2010年の何倍か」を表している。つまり出発点が高い線ほど、60年間で大きく減った、言い換えれば大きく改善した指標なんだ。では5つの指標のうち、どれが一番劇的に下がったと思う?
医学生医学生
公衆衛生の講義では、乳児死亡率が衛生状態を反映する代表的な指標で、戦後大きく下がったと習いました。だから一番高いのは乳児死亡率かと思ったんですが…。
ドクタードクター
惜しいところだね。乳児死亡率も1950年の出生千対60.1から2010年には2.3まで下がって、約26倍の改善だ。でも、さらに上をいくのが妊産婦死亡率で、出産10万対161.2から4.1へ、約39倍も下がっている。だから1950年に約40という最も高い位置から急降下している線が妊産婦死亡率になる。
医学生医学生
40倍ですか。昔はお産で亡くなる方がそれほど多かったんですね。何がそこまで効いたんでしょう。
ドクタードクター
大きいのは自宅分娩から病院・診療所での施設分娩への移行だね。出血や妊娠高血圧症候群、感染症といった死因に対して、輸血、抗菌薬、帝王切開がすぐ使える環境で出産できるようになった。加えて母子手帳による妊婦健診の定着や、1965年の母子保健法の制定といった施策も後押しした。
医学生医学生
産婦人科の実習で、分娩時の大量出血に備えて輸血の準備をしているのを見ました。あれが当たり前になったことが大きいんですね。
ドクタードクター
そうだね。では残りの線も確認しよう。1950年に約25〜26から始まって大きく下がる線が2本ある。これは何だろう。
医学生医学生
乳児死亡率と、もう一つは新生児死亡率でしょうか。新生児死亡は乳児死亡の一部なので、似た動きになりそうです。
ドクタードクター
正解。新生児死亡率は出生千対27.4から1.1へ約25倍、乳児死亡率は約26倍と、改善幅がほぼ同じなんだ。乳児死亡の早期の急低下は、肺炎や胃腸炎などの感染症死亡が栄養・衛生の改善や予防接種、抗菌薬で減ったことを反映している。新生児死亡の改善には周産期医療やNICUの整備が貢献した。2本の区別は細かいので、この問題の主眼ではないよ。
医学生医学生
出発点が3〜4くらいの低い線が2本ありますが、片方は1960年前後に少し盛り上がっていますね。
ドクタードクター
よく気づいたね。そちらが死産率だ。1950年の出産千対84.9から24.2で約3.5倍の改善にとどまる。死産には自然死産と人工死産があって、人工死産の増加で1961年頃にピークを迎えたから、あの盛り上がりになる。原因を特定しにくい自然死産も多く、医療の進歩だけでは劇的には減りにくいんだ。
医学生医学生
もう一本は1966年あたりでガクッと落ちています。CBTの過去問で見た丙午ですか?
ドクタードクター
その通り、合計特殊出生率だ。1950年の3.65から2010年の1.39で約2.6倍。1966年は丙午の迷信で出産を避ける人が多く、1.58まで落ち込んだ。そして1989年にはそれをも下回る1.57となり、「1.57ショック」として少子化対策が本格化するきっかけになった。
医学生医学生
つまり、出発点の高さで「改善の大きさ」を読み、線の形で丙午や人工死産のような出来事を読む、という二段構えなんですね。
ドクタードクター
まさにそう。発展として、指標の分母の違いも押さえておこう。妊産婦死亡率は出産10万対、乳児・新生児死亡率は出生千対、死産率は出産千対だ。妊産婦死亡はまれな事象なので10万対を使うんだね。定義では、妊娠中または妊娠終了後満42日未満の、妊娠・分娩に関連した原因による死亡を指す。
医学生医学生
周産期死亡率は、妊娠満22週以後の死産と早期新生児死亡を合わせたもの、でしたよね。
ドクタードクター
よく覚えているね。こうした指標の定義と分母は国試で繰り返し問われる。今や日本の妊産婦死亡率や乳児死亡率は世界でも最低水準だけれど、それは施設分娩の普及や母子保健制度の積み重ねの成果だ。臨床に出ても、産科の救急体制が多くの母子の命を守っていることを意識しておいてほしい。

まとめ

2010年の値を1として基準化したグラフでは、1950年時点の高さが「60年間でどれだけ改善したか」を表します。妊産婦死亡率は出産10万対161.2から4.1へと約40分の1に低下し、5つの指標の中で最も劇的に改善しており、施設分娩の普及、母子保健法などの施策、輸血・抗菌薬・帝王切開といった産科医療の進歩が背景にあります。新生児死亡率と乳児死亡率は約25分の1、死産率は約3.5分の1で1961年頃に人工死産の増加によるピークがあり、合計特殊出生率は1966年の丙午で一時的に急減し、1989年には1.57ショックを迎えました。各指標の定義と分母(出産10万対、出生千対、出産千対)もあわせて整理しておくことで、母子保健統計の問題に幅広く対応できるようになります。

解答・解説

正解はaです

本問は、母子保健に関する5つの指標(合計特殊出生率、妊産婦死亡率、新生児死亡率、乳児死亡率、死産率)について、2010年の値を1としたときの1950年以降の相対的な変化をグラフで示し、その中から妊産婦死亡率を選ばせる問題である。

このグラフの読み方

縦軸は「2010年の値を1としたときの値」なので、1950年時点の高さは「1950年の値は2010年の何倍か」を表す。つまり、1950年の位置が高い線ほど、60年間で大きく改善(減少)した指標である。

各指標の1950年と2010年の値(人口動態統計)

・妊産婦死亡率:161.2 → 4.1(出産10万対) 約39倍 ・乳児死亡率:60.1 → 2.3(出生千対) 約26倍 ・新生児死亡率:27.4 → 1.1(出生千対) 約25倍 ・死産率:84.9 → 24.2(出産千対) 約3.5倍 ・合計特殊出生率:3.65 → 1.39 約2.6倍

グラフとの対応

・①:1950年に約39~40と最も高く、その後急激に低下している。60年間で最も劇的に改善した指標、すなわち妊産婦死亡率である。 ・②・③:1950年に約25~26から始まり、大きく低下している。新生児死亡率と乳児死亡率にあたる。③は早期に急低下し、②は1950年代はやや高い値を保ったのちに低下しており、比の値から③が乳児死亡率、②が新生児死亡率と考えられる(両者の区別は細かく、本問の主眼ではない)。 ・④:1950年に約3.5で、1960年前後にいったんやや上昇してから緩やかに低下している。死産率は1961年頃に人工死産の増加によりピークを迎えたため、この形に一致する。 ・⑤:1950年に約2.6で、1966年に一時的な落ち込みがみられる。1966年は丙午(ひのえうま)の年で出生数が急減したことに対応し、合計特殊出生率である。 以上より、妊産婦死亡率は①である。 なお本問は2010年時点の統計を基準とした出題であり、年次ごとの具体的な数値を問う形での再出題は考えにくい。ただし「我が国の妊産婦死亡率・乳児死亡率は戦後に劇的に低下した」「丙午で出生が急減した」といった大きな流れは現在も押さえておくべき事項である。

選択肢考察

  1. ○a.  ①

    正しい。①は1950年時点で2010年の約39倍と5つの指標の中で最も高く、その後急速に低下しており、妊産婦死亡率(1950年161.2→2010年4.1、出産10万対)に一致する。戦後、施設分娩の普及(自宅分娩から病院・診療所での分娩へ)、母子健康手帳による妊婦健康診査の定着、1965年の母子保健法の制定などの母子保健施策、輸血・抗菌薬・帝王切開などの産科医療の進歩により、出血、妊娠高血圧症候群、感染症などによる妊産婦の死亡が大幅に減少した。

  2. ×b.  ②

    誤り。②は新生児死亡率(生後4週=28日未満の死亡、1950年27.4→2010年1.1、出生千対)であり、2010年の約25倍から大きく低下している。周産期医療の整備、新生児集中治療室(NICU)の普及、低出生体重児や早産児の管理技術の進歩により大きく改善した。乳児死亡率と同程度の改善幅で推移形も似ているため、③との区別はやや難しい。

  3. ×c.  ③

    誤り。③は乳児死亡率(生後1年未満の死亡、1950年60.1→2010年2.3、出生千対)であり、2010年の約26倍から急速に低下している。戦後早期の急低下は、肺炎・胃腸炎などの感染症による乳児死亡が、栄養・衛生環境の改善、予防接種や抗菌薬の普及によって大きく減少したことを反映している。現在の我が国の乳児死亡率は世界でも最低水準にある。

  4. ×d.  ④

    誤り。④は死産率(妊娠満12週以後の死児の出産、1950年84.9→2010年24.2、出産千対)である。1950年の値が2010年の約3.5倍にとどまり、改善幅は妊産婦死亡率や乳児死亡率に比べて小さい。死産には自然死産と人工死産(人工妊娠中絶による妊娠12週以後の死産を含む)があり、人工死産の増加により1961年頃にピークを迎えたため、グラフでも1960年前後にいったん上昇している。原因の特定が難しい自然死産も多く、医療の進歩だけでは劇的には減少しにくい。

  5. ×e.  ⑤

    誤り。⑤は合計特殊出生率(1950年3.65→2010年1.39)であり、1950年の値は2010年の約2.6倍である。1950年代に急低下したのち、1960年代後半~1970年代前半は2前後で推移し、その後再び低下した。1966年の丙午の年には出生を避ける風潮から出生数が急減し、合計特殊出生率が1.58に落ち込んだ。グラフ上の1966年付近の一時的な落ち込みがこれに対応する。なお1989年には丙午を下回る1.57となり、「1.57ショック」として少子化対策が本格化する契機となった。

母子保健指標の定義

・妊産婦死亡率:妊娠中または妊娠終了後満42日未満の女性の死亡のうち、妊娠・分娩またはその管理に関連した原因によるもの(偶発的な原因によるものは除く)。我が国では出産(出生+妊娠満12週以後の死産)10万対で表す。 ・死産率:妊娠満12週以後の死児の出産。出産(出生+死産)千対で表し、自然死産と人工死産に分けられる。 ・周産期死亡率:妊娠満22週以後の死産と早期新生児死亡(生後1週未満の死亡)を合わせたもの。出産(出生+妊娠満22週以後の死産)千対で表す。 ・新生児死亡率:生後4週(28日)未満の死亡。出生千対。 ・乳児死亡率:生後1年未満の死亡。出生千対。地域の衛生状態・経済・教育などを反映する指標とされる。 ・合計特殊出生率:15~49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの。1人の女性が一生の間に産む子どもの数に相当する。人口を維持するのに必要な水準(人口置換水準)はおよそ2.07である。

我が国の母子保健施策の流れ

・1947年:児童福祉法制定 ・1948年:母子手帳の交付開始(1942年の妊産婦手帳が前身) ・1965年:母子保健法制定(翌年施行)、母子手帳は母子健康手帳に改称 ・その後、周産期母子医療センターの整備などにより周産期医療体制が充実した

指標の改善の大きさの比較

妊産婦死亡率、乳児死亡率、新生児死亡率は戦後数十分の一にまで低下し、我が国はいずれも世界で最も低い水準の国の一つとなった。一方、死産率の低下は数分の一にとどまる。

合計特殊出生率の主な節目

・1947~1949年:第1次ベビーブーム(4以上) ・1966年:丙午 1.58 ・1971~1974年:第2次ベビーブーム(2.1前後) ・1989年:1.57ショック ・2005年:1.26(当時の過去最低) ・その後いったん上昇したが、近年は再び低下し過去最低を更新している

POINT

・縦軸が「2010年を1とした値」のとき、1950年の値が高い線ほど大きく改善した指標である ・最も劇的に低下したのは妊産婦死亡率(1950年は2010年の約40倍) ・新生児死亡率・乳児死亡率もおよそ25倍の改善 ・死産率の改善は約3.5倍にとどまり、1961年頃にピーク(人工死産の増加) ・合計特殊出生率は1966年の丙午で一時的に急減(1.58)、1989年に1.57ショック ・妊産婦死亡率は出産10万対、乳児・新生児死亡率は出生千対、死産率は出産千対

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。