患者は陰性、それでも検査は必要―針刺し事故で「自分の血液」を調べる理由
第109回医師国家試験 C問題 第17問
国試問題にチャレンジ
25歳の男性。臨床研修医。患者の採血を行った後,採血管に分注しようとして誤って自分の指に針を刺した。患者は鼠径ヘルニアの手術目的で入院した59歳の男性で,7日前に施行した術前検査ではB型肝炎ウイルス,C型肝炎ウイルス及びHIVの感染は指摘されていない。直ちに汚染部位を絞り出し,流水で洗浄を行った。 この研修医に対して洗浄の後に行う対応として適切なのはどれか。
- a.検査や処置を行わず経過を観察する。
- b.HBs抗原,HBs抗体,HCV抗体および抗HIV抗体の血液検査を行う。
- c.抗HIV薬を投与する。
- d.HBワクチンを接種する。
- e.HBs抗体含有免疫グロブリン製剤を投与する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
針刺し事故では、まず受傷部位を流水で十分に洗浄し、速やかに報告したうえで、曝露源患者の感染状況と受傷者本人のベースライン検査(HBs抗原、HBs抗体、HCV抗体、抗HIV抗体、肝機能)を確認します。患者が陰性であっても、受傷時点の本人のデータは、事故と感染の因果関係の証明(労災)やウインドウ期を考慮した追跡の起点として欠かせません。HBIGとHBワクチンの併用は患者がHBs抗原陽性で受傷者が抗体陰性の場合、抗HIV薬の予防内服は患者がHIV陽性などの場合に行い、HCVには有効な曝露後予防がないため追跡検査で対応します。感染率はHBV(HBe抗原陽性)約30%、HCV約2%、HIV約0.3%が目安です。リキャップをしない、事前にHBワクチンで免疫をつけるといった予防策とあわせて、自分の身を守る手順を知っておくことは、すべての医療者にとって必須の知識です。
解答・解説
正解はbです
状況の整理
・受傷者:25歳の臨床研修医。採血後、採血管へ分注する際に使用済みの針で自分の指を刺した(針刺し事故)。 ・曝露源(患者):鼠径ヘルニアの手術目的で入院した59歳の男性。7日前の術前検査でB型肝炎ウイルス(HBV)、C型肝炎ウイルス(HCV)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染は指摘されていない。 ・初期対応:汚染部位からの血液の絞り出しと流水洗浄は済んでいる。 ・不明な点:研修医自身の感染症検査結果やHBワクチンの接種歴・HBs抗体価は記載されていない。
考え方
針刺し事故後の対応は、①受傷直後の局所処置(流水と石けんによる十分な洗浄)、②曝露源患者の感染状況の確認、③受傷者の受傷時点での感染・免疫状態の確認(ベースライン検査)、④必要に応じた曝露後予防(PEP:post-exposure prophylaxis)、⑤一定期間の追跡検査、という流れで進める。 本問の患者は術前検査でHBV・HCV・HIVいずれも陰性であるため、原則として抗HIV薬の予防内服や、HBs抗体含有免疫グロブリン(HBIG)・HBワクチンによる緊急の曝露後予防は必要ない。 一方で、受傷者自身の検査は省略できない。理由は次のとおりである。 ・受傷時点で研修医がすでにHBV・HCV・HIVに感染していないことを確認しておかなければ、後日陽転した場合に、今回の事故による感染か、以前からの感染かを区別できない。業務中の針刺し事故は労働者災害補償保険(労災)の対象となり、事故と感染との因果関係を示すためにも受傷時のデータが必要である。 ・HBs抗体を測定すれば、研修医がHBVに対する免疫を持っているかが分かり、今後の予防(ワクチン接種の要否)の判断材料になる。 ・患者の術前検査は7日前のものであり、感染直後で抗体がまだ陽性化していない時期(ウインドウ期)である可能性はゼロではない。そのため受傷者側の経過観察の起点となるデータを取っておく意義がある。 したがって、洗浄の後に行う対応として適切なのは、研修医本人のHBs抗原、HBs抗体、HCV抗体、抗HIV抗体の血液検査(あわせて肝機能検査)である。
選択肢考察
- ×a. 検査や処置を行わず経過を観察する。
誤り。患者の感染症検査が陰性であっても、受傷者のベースライン検査は必要である。受傷時点での研修医の感染の有無・HBs抗体の有無を記録しておかなければ、後で陽性化した場合に事故との因果関係を判断できず、労災の手続きにも支障が出る。また、患者がウインドウ期にあった可能性も完全には否定できないので、検査を行わずに様子を見るだけの対応は不適切である。
- ○b. HBs抗原,HBs抗体,HCV抗体および抗HIV抗体の血液検査を行う。
正しい。受傷者本人の受傷時点での感染・免疫状態を把握するための検査である。HBs抗原はHBV感染の有無、HBs抗体はHBVに対する免疫(既感染またはワクチン接種による)の有無、HCV抗体はHCV感染の有無、抗HIV抗体はHIV感染の有無を示す。これらは事故以前から感染していなかったことを証明する基準値となり、労災認定における因果関係の証明、追跡検査の起点、HBワクチン接種の要否の判断に用いられる。実際には肝機能検査(AST、ALT)もあわせて行い、検査は本人の同意を得て実施する。
- ×c. 抗HIV薬を投与する。
誤り。抗HIV薬の予防内服は、曝露源患者がHIV陽性、またはHIV感染の可能性が高い場合に考慮する曝露後予防である。本問の患者は術前検査でHIV陰性であり、ウインドウ期の可能性は理論上残るものの極めて低いため、副作用のある抗HIV薬をあえて投与する必要はない。なお、予防内服が必要な場合は、受傷後できるだけ早く(可能であれば2時間以内、遅くとも72時間以内)に開始することが推奨されている。
- ×d. HBワクチンを接種する。
誤り。HBワクチンは遺伝子組換え技術で作ったHBs抗原にアジュバント(免疫増強剤)を加えた不活化ワクチンで、接種によりHBs抗体の産生を促す。効果が出るまで時間がかかるが、長期の予防効果がある。曝露後予防としてのHBワクチン接種は、患者がHBs抗原陽性で、受傷者がHBs抗体陰性(10 mIU/mL未満)またはワクチン未接種の場合に、HBIGと併用して行う(受傷時、1か月後、6か月後の計3回)。本問の患者はHBs抗原陰性なので、事故後の緊急処置としては不要である。ただし、検査で研修医のHBs抗体が陰性と分かれば、今後の職業感染予防として後日あらためて接種を計画するのが望ましい。
- ×e. HBs抗体含有免疫グロブリン製剤を投与する。
誤り。HBs抗体含有免疫グロブリン(HBIG:hepatitis B immune globulin)はヒト血液由来のHBs抗体を製剤化したもので、投与直後から受動免疫として働く即効性の予防策である(半減期は約2〜3週間)。適応は、患者がHBs抗原陽性で、受傷者がHBs抗体陰性またはワクチン未接種の場合であり、できるだけ早く(24時間以内が望ましく、遅くとも48時間以内)に投与する。本問の患者はHBs抗原陰性であり、投与の必要はない。
針刺し事故後の標準的な対応の流れ
1. 受傷部位を流水(と石けん)で十分に洗浄する。血液を絞り出すこともあるが、消毒薬の効果は証明されていない。 2. 速やかに上司・感染対策部門へ報告し、所定の手順(施設のマニュアル)に従う。 3. 曝露源患者の感染状況を確認する。不明であれば同意を得てHBs抗原、HCV抗体、抗HIV抗体などを検査する。HBs抗原陽性であればHBe抗原も調べる(HBe抗原陽性はウイルス量が多く感染性が高いことを示す)。 4. 受傷者のベースライン検査(HBs抗原、HBs抗体、HCV抗体、抗HIV抗体、肝機能)を行い、HBワクチン接種歴も確認する。 5. 曝露源の状況に応じた曝露後予防を行う。 6. 追跡検査を行う(おおむね6か月〜1年。受傷後1、3、6か月などに肝機能や抗体を再検する)。
病原体ごとの感染リスクと曝露後予防
・HBV:針刺しによる感染率は、患者がHBe抗原陽性の場合で約30%と高い。患者がHBs抗原陽性かつ受傷者がHBs抗体陰性(またはワクチン未接種)であれば、HBIGとHBワクチンを併用する。これにより感染の大部分(90%以上)を防ぐことができる。受傷者がすでにHBs抗体陽性(10 mIU/mL以上)であれば処置は原則不要である。 ・HCV:感染率は約2%(文献により1.8〜3%程度)。有効な曝露後予防(ワクチン・免疫グロブリン・予防内服)は確立していないため、追跡検査で早期に感染を発見し、感染が判明すれば直接作用型抗ウイルス薬(DAA)で治療する。 ・HIV:感染率は約0.3%。患者がHIV陽性の場合は、抗HIV薬の予防内服をできるだけ早く(可能なら2時間以内)開始し、4週間継続する。予防内服により感染リスクを大きく低下させることができる。
ウインドウ期
感染が成立していても、血中の抗体が検出可能になるまでには一定の期間があり、この間は抗体検査が陰性となる。これをウインドウ期という。曝露源の検査が陰性でも理論上は感染の可能性が残るため、受傷者の追跡検査が行われる。
予防の基本
・すべての患者の血液・体液・分泌物・排泄物などを感染の可能性があるものとして扱う(標準予防策:スタンダードプリコーション)。 ・使用済みの針はリキャップせず、ただちに専用の耐貫通性廃棄容器に捨てる。採血管への分注には安全器材(ホルダー採血や分注用器具など)を用いる。 ・医療従事者は事前にHBワクチンを接種し、HBs抗体陽性を確認しておくことが推奨される。 ・国内では血液・体液曝露事例の情報収集・解析にEPINet日本版(エピネット日本版)の報告書式が用いられている。
POINT
・針刺し事故の直後は、まず流水で十分に洗浄する。 ・曝露源患者が陰性でも、受傷者のベースライン検査(HBs抗原、HBs抗体、HCV抗体、抗HIV抗体、肝機能)は必須である。事故との因果関係の証明(労災)と追跡の起点になる。 ・HBIG+HBワクチンは「患者HBs抗原陽性」かつ「受傷者HBs抗体陰性・未接種」の場合に行う。 ・抗HIV薬の予防内服は患者HIV陽性などの場合に、できるだけ早く(2時間以内が理想)開始する。 ・HCVには有効な曝露後予防がなく、追跡検査で対応する。 ・感染率の目安:HBV(HBe抗原陽性)約30%、HCV約2%、HIV約0.3%。
