献立が減ったのは「忘れた」からではない―料理に表れる遂行機能障害の読み解き方
第106回医師国家試験 G問題 第52問
国試問題にチャレンジ
68歳の女性。物忘れを主訴に夫に伴われて来院した。1年前から,話した内容を忘れてしまうことが多くなった。料理は得意であったが,最近は献立の種類が減り,簡単に作ることができるものばかりになった。既往歴に特記すべきことはない。 この患者に認められる症状はどれか。
- a.失語
- b.失行
- c.失認
- d.注意障害
- e.遂行機能障害
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
高齢者で潜行性に始まり緩徐に進行する近時記憶障害が主体であれば、Alzheimer型認知症をまず考えます。得意だった料理の献立が減り簡単なものばかりになったのは、計画・実行・監視・修正を担う前頭前野の機能、すなわち遂行機能の障害の表れであり、料理や買い物、金銭管理などIADLの低下として早期から現れやすい症状です。失語は言語機能そのものの障害、失行は運動障害がないのに習熟した動作ができない状態、失認は感覚は保たれているのに対象を認識できない状態であり、定義に照らして生活上のエピソードを当てはめることで区別できます。診断にあたっては、慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症、甲状腺機能低下症などの治療可能な認知症を画像・血液検査で除外することが欠かせません。家族の語る日常の変化を認知機能の言葉に翻訳する力は、認知症の早期発見と適切な支援に直結します。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・68歳の女性。本人ではなく夫が受診を促しており、家族が変化に気づいている(認知症では本人の病識が乏しいことが多い)。 ・1年前からの緩徐な経過で、会話の内容を忘れる(エピソード記憶の障害、特に近時記憶の障害)。 ・得意だった料理で献立の種類が減り、簡単なものしか作らなくなった。 ・既往歴に特記事項なし。急性発症や段階的な悪化を示す記載はない。
診断へのプロセス
高齢者で、潜行性に始まり緩徐に進行する記憶障害が前景に立ち、それに日常生活上の複雑な作業能力の低下が加わっている。脳血管障害の既往や局所神経症状の記載はなく、幻視・パーキンソニズム(Lewy小体型認知症を疑う所見)や、人格変化・脱抑制(前頭側頭型認知症を疑う所見)もない。抑うつ気分や意欲低下の訴えもなく、うつ病による仮性認知症も考えにくい。以上からAlzheimer型認知症がもっとも疑われる。ただし、慢性硬膜下血腫・正常圧水頭症・脳腫瘍・甲状腺機能低下症・ビタミンB12欠乏症など治療可能な認知症(treatable dementia)は、頭部画像検査や血液検査で除外する必要がある。
設問の考え方
問われているのは「問題文から読み取れる症状」である。記憶障害以外の症状として記載されているのは料理に関するエピソードだけであり、これをどの認知機能の障害として捉えるかがポイントとなる。料理は、献立を考え、材料をそろえ、複数の工程を段取りよく並行して進め、途中で味や火加減を確認して修正するという、計画・実行・監視・修正の連続である。この一連の過程を担うのが遂行機能(実行機能)であり、その低下によって手順の多い料理が作れなくなり、簡単な献立ばかりになったと解釈できる。手足の動作そのものや道具の使い方の障害、言葉の障害、物を認識する障害を示す記載はない。
選択肢考察
- ×a. 失語
失語は、発声器官や聴覚に異常がないのに、大脳の言語野の障害によって言葉を話す・理解する・読む・書くといった言語機能が損なわれた状態である。本例では会話の内容を忘れるという記憶の問題はあるが、言葉が出ない、言い間違いが多い、相手の言葉が理解できないといった言語機能そのものの障害を示す記載はない。Alzheimer型認知症では進行とともに語想起の障害(喚語困難)などが出現しうるが、本問の情報からは読み取れない。
- ×b. 失行
失行は、運動麻痺・感覚障害・失調などの運動障害がなく、行うべき内容も理解しているのに、習熟していたはずの目的ある動作を正しく行えない状態である。例として、道具を正しく使えない(観念性失行)、指示された身振りができない(観念運動性失行)、服をうまく着られない(着衣失行)、図形を組み立てたり模写したりできない(構成失行)などがある。本例は料理自体は行えており、包丁や調理器具が使えないといった記載はない。変化しているのは作る料理の複雑さであり、個々の動作の障害ではないため、失行とはいえない。
- ×c. 失認
失認は、視覚・聴覚・触覚などの感覚器や一次感覚野に異常がないのに、その感覚を通して対象が何であるかを認識できない状態である(例: 見ている物が何かわからない視覚性失認、顔を見ても誰かわからない相貌失認、半側空間無視など)。本例には、物や人を見分けられない、見慣れた場所で迷うといった記載はなく、失認は読み取れない。
- ×d. 注意障害
注意障害は、一つのことに注意を集中・持続できない、複数のことに注意を配分できない、必要に応じて注意を切り替えられない、といった状態である。Alzheimer型認知症でも出現しうる障害だが、本例には気が散りやすい、ぼんやりしている、ミスが多いといった記載はない。献立が単純化したことは注意の問題としてではなく、計画・段取りの障害として捉えるほうが適切である。なお注意の変動が目立つ場合は、せん妄やLewy小体型認知症を考慮する。
- ○e. 遂行機能障害
遂行機能(実行機能)とは、目標を設定し、それを達成するための計画を立て、手順どおりに実行し、その結果を監視しながら必要に応じて修正していく能力であり、主に前頭葉(前頭前野)が担う。料理は献立の立案、材料の準備、複数工程の同時進行、味見による調整などを要し、遂行機能を強く必要とする家事である。得意だった料理で献立の種類が減り、手順の少ない簡単なものしか作らなくなったのは、この段取りを組み立てる能力が低下したことを示しており、遂行機能障害と判断できる。遂行機能障害は、手段的日常生活動作(IADL:調理・買い物・金銭管理・服薬管理など)の低下として早期から現れやすい。
認知症の症状の整理
認知症の症状は、中核症状と行動・心理症状(BPSD)に分けられる。 ・中核症状: 脳の神経細胞の障害によって直接生じる認知機能障害。記憶障害、見当識障害、遂行機能障害、失語・失行・失認、判断力の低下など。 ・BPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia): 中核症状に環境や心理的要因が加わって生じる症状。物盗られ妄想、徘徊、興奮・攻撃性、抑うつ、不安、睡眠障害など。
Alzheimer型認知症
・もっとも頻度の高い認知症で、高齢発症が多く、潜行性に発症し緩徐に進行する。 ・病理: アミロイドβの沈着(老人斑)とリン酸化タウの蓄積(神経原線維変化)、神経細胞の脱落。 ・症状: 近時記憶障害で始まることが多く、続いて時間→場所→人物の順に見当識が障害される。遂行機能障害、視空間認知障害、言語障害(喚語困難)なども加わる。BPSDとしては物盗られ妄想が代表的である。病識が乏しく、取り繕い反応がみられることも多い。 ・画像: CT・MRIで海馬を含む側頭葉内側の萎縮。脳血流SPECTやFDG-PETで後部帯状回・楔前部、側頭頭頂葉の血流・代謝の低下。 ・治療: コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)、NMDA受容体拮抗薬(メマンチン)。近年は軽度認知障害(MCI)~軽度の段階で、アミロイドβの蓄積を確認したうえで抗アミロイドβ抗体薬(レカネマブ、ドナネマブ)が用いられるようになった。BPSDには環境調整などの非薬物療法を優先し、必要に応じて抑肝散や少量の非定型抗精神病薬などを慎重に用いる。
治療可能な認知症の除外
慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、甲状腺機能低下症、ビタミンB1・B12欠乏症、神経梅毒などは治療により改善しうるため、頭部画像検査と血液検査で必ず確認する。うつ病による仮性認知症も鑑別に挙げる。
POINT
・遂行機能=目標設定、計画、実行、結果の監視と修正を行う能力。前頭前野が担う。 ・料理・買い物・金銭管理など段取りを要する家事(IADL)の低下は遂行機能障害の典型的な表れである。 ・失語=言語機能の障害、失行=運動障害がないのに習熟した動作ができない、失認=感覚は保たれているのに対象を認識できない。定義で区別する。 ・高齢者で潜行性・緩徐進行性の近時記憶障害が主体ならAlzheimer型認知症を第一に考え、治療可能な認知症を除外する。
