焦げた鍋が語るもの―料理上手の妻に起きた変化から認知症の症状を読み解く
第100回医師国家試験 C問題 第10問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,10~12の問いに答えよ。 59歳の女性。言動の変化を心配した夫に付き添われ来院した。 現病歴:夫は「妻は元来料理が得意であったが,最近献立が毎日同じで味付けもまずくなった。しかも料理を焦がすことが多い」と訴える。市場に買い物に出て迷子になり,隣人に連れられ帰宅したこともあった。 既往歴:特記すべきことはない。 生活歴:25歳で現在の夫と結婚。専業主婦で一男二女をもうけた。元来明るく家事育児も問題なくこなした。 現症:意識は清明。身だしなみは整っている。本人はニコニコ笑って「ちょっと体の調子が悪いんです」と答える。
この患者に認められる症状はどれか。
- a.失語
- b.保続
- c.徘徊
- d.不穏
- e.記憶障害
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
認知症の症状を問う問題では、疾患で一般にみられうる症状ではなく、症例文のエピソードから直接読み取れる症状を選ぶことが重要です。料理を焦がす(火にかけたことを忘れる)、献立が毎日同じになるといった出来事は近時記憶障害を示し、Alzheimer型認知症で最も早期から現れる中核症状です。献立を組めない・味付けが悪いのは遂行機能障害、道に迷うのは見当識障害や視空間認知障害の表れで、目的を持った外出での迷子は徘徊とは区別します。保続は前頭側頭型認知症で目立つ前頭葉症状であり、病識の欠如と取り繕い反応、保たれた礼節はAlzheimer型認知症を示唆します。中核症状とBPSDを区別して捉える視点は、診断だけでなく、ケアや家族支援を含めた臨床対応の土台になります。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・59歳の女性。本人ではなく夫が言動の変化を心配して受診させている(本人に困っている自覚が乏しい)。 ・元来料理が得意だったのに、献立が毎日同じになり、味付けが悪くなった。段取りを立てて複数の作業を並行する調理という行為がうまくできなくなっており、遂行機能(計画を立てて手順どおりに実行する能力)の低下がうかがえる。同じ献立になるのは、前日に何を作ったかを覚えていないことも関係している。 ・料理を焦がすことが多い:鍋を火にかけたこと自体を忘れてしまう、すなわち直前の出来事を覚えておけない近時記憶(記銘力)の障害を示唆する。 ・市場で迷子になり隣人に連れ帰られた:よく知っているはずの場所で道がわからなくなる、場所の見当識障害(あるいは視空間認知・地誌的記憶の障害)と考えられる。 ・意識清明で身だしなみは整っている:意識障害(せん妄)ではなく、社会的な体裁も保たれている。 ・ニコニコ笑って「ちょっと体の調子が悪いんです」と答える:生活上の失敗について自覚が乏しく(病識の欠如)、その場をそれらしい返答でやり過ごしている。Alzheimer型認知症でよくみられる取り繕い反応に相当する。
診断に至るプロセス
意識障害がなく、もともと問題なく家事をこなしていた人が、記憶障害を中心に遂行機能障害・見当識障害を生じ、日常生活(家事・外出)に支障をきたしている。これは認知症の状態像である。記憶障害が前景に立ち、緩徐に進行している印象で、人格や礼節が保たれ取り繕いがみられる点から、Alzheimer型認知症が最も考えられる。65歳未満での発症であり、若年性認知症に該当する。なお、人格変化・脱抑制・常同行動が目立ち身だしなみも乱れやすい前頭側頭型認知症や、階段状に進行し局所神経症状を伴いやすい血管性認知症とは、この時点の像が異なる。
設問の考え方
問われているのは「この患者に認められる症状」である。症例文に書かれた具体的なエピソードから実際に読み取れる症状だけを選び、認知症で一般にみられうるが本例には記載のない症状は選ばないことが要点である。
選択肢考察
- ×a. 失語
失語は、いったん獲得した言語機能が大脳の障害で失われた状態で、言葉がうまく出ない運動性(Broca)失語や、言葉の意味が理解できない感覚性(Wernicke)失語などがある。本例は質問に対して「ちょっと体の調子が悪いんです」と文法的にも内容的にも通じる返答をしており、発話・理解の障害は読み取れない。Alzheimer型認知症でも進行すると物の名前が出てこない喚語困難などの言語障害が現れるが、本例の記載からは認められない。
- ×b. 保続
保続とは、いったん出現した言葉や動作が、状況が変わって不要になった後も繰り返し出てしまう現象である。主に前頭葉の障害で生じ、前頭側頭型認知症(かつてのPick病を含む)で目立つ。「献立が毎日同じ」は一見繰り返しにみえるが、これは前日の献立を覚えていないことや献立を考え出せないことによるもので、同一の反応が次の場面に持ち越される保続とは異なる。本例では保続を示すエピソードはない。
- ×c. 徘徊
徘徊は、目的がはっきりしないまま、あるいは本人なりの目的があってもそれを果たせずに歩き回り続ける行動を指し、認知症の行動・心理症状(BPSD)の一つである(近年は「ひとり歩き」などと言い換えられることもある)。本例は買い物という明確な目的で外出し、帰り道がわからなくなって迷子になったもので、あてもなく歩き回ったという記載はない。道に迷ったことは見当識障害・記憶障害の表れであり、徘徊とは区別する。
- ×d. 不穏
不穏とは、落ち着きがなく、そわそわしたり興奮・焦燥を示したりする状態で、認知症の病型を問わずBPSDやせん妄の一症状として現れうる。本例は診察場面でニコニコと穏やかに受け答えしており、興奮・焦燥・落ち着きのなさを示す記載はない。
- ○e. 記憶障害
料理を焦がすことが多いのは、鍋を火にかけたことを忘れてしまうためと考えられ、新しい出来事を覚えておけない近時記憶(記銘力)の障害を示す。献立が毎日同じになるのも、前日に何を作ったかを覚えていないことが一因と解釈できる。さらに迷子になったことにも、場所や道順を覚えておけないことが関与している可能性がある。記憶障害、特に近時記憶障害はAlzheimer型認知症の中核症状であり、早期から出現する。
認知症の症状の整理
認知症の症状は、中核症状と行動・心理症状(BPSD:behavioral and psychological symptoms of dementia)に大別される。 ・中核症状:脳の神経細胞の障害に直接由来する認知機能障害。記憶障害、見当識障害(時間→場所→人の順に障害されやすい)、遂行機能障害、失語・失行・失認、判断力低下など。 ・BPSD:中核症状に本人の性格や環境・身体状態が加わって生じる二次的な症状。徘徊、不穏・興奮、暴言・暴力、妄想(特に物盗られ妄想)、幻覚、抑うつ、不安、睡眠障害、アパシー(意欲低下)など。
Alzheimer型認知症の臨床的特徴
・潜行性に発症し、緩徐に進行する。 ・初期症状は近時記憶障害(同じことを何度も聞く、置き忘れ、約束を忘れる)が中心。遠隔記憶は比較的保たれる。 ・続いて時間の見当識障害、遂行機能障害(家事・金銭管理などの手際が悪くなる)、視空間認知障害(道に迷う、図形の模写ができない)が加わる。 ・病識が乏しく、取り繕い反応(失敗をそれらしい言い訳でごまかす)や、質問に答えられないときに付き添いの家族のほうを振り返る振り返り徴候がみられる。 ・人格や社会的礼節は比較的長く保たれ、神経学的局所症状(麻痺など)は初期にはみられない。 ・中期以降に失語・失行・失認、BPSDが目立ち、末期には寝たきり・無言となる。 ・65歳未満で発症するものを若年性認知症と呼び、本例(59歳)が該当する。若年発症例では進行が比較的速いことや、就労・家計・介護などの社会的問題が大きいことが指摘されている。
他の認知症との鑑別のポイント
・前頭側頭型認知症:人格変化、脱抑制、常同行動(毎日同じ行動を繰り返す)、保続、食行動異常。記憶は初期に比較的保たれ、身だしなみも乱れやすい。 ・Lewy小体型認知症:認知機能の変動、繰り返す具体的な幻視、パーキンソニズム、レム睡眠行動障害。 ・血管性認知症:脳血管障害と時間的に関連した発症、階段状の進行、まだら状の認知機能低下、局所神経症状。
POINT
・症状を問う設問では、症例文のエピソードから直接読み取れるものだけを選ぶ。 ・料理を焦がす(火にかけたことを忘れる)→近時記憶障害。献立が組めない・味付けが悪い→遂行機能障害。道に迷う→見当識障害・視空間認知障害。 ・迷子と徘徊は別物。目的を持った外出で帰れなくなったのは徘徊とはいわない。 ・保続は前頭葉障害(前頭側頭型認知症)で目立つ。 ・病識の欠如と取り繕い反応、保たれた礼節はAlzheimer型認知症の特徴。
