井戸水が刻む皮膚の記憶―慢性ヒ素中毒とBowen病
第111回医師国家試験 A問題 第7問
国試問題にチャレンジ
慢性ヒ素中毒でみられるのはどれか。
- a.肝細胞癌
- b.骨粗鬆症
- c.Bowen病
- d.慢性気管支炎
- e.再生不良性貧血
対話形式の解説
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ドクターまとめ
慢性ヒ素中毒は、ヒ素を含む井戸水などへの長期曝露で生じ、最も重要なのは皮膚症状です。雨滴状の色素沈着と脱色素斑、手掌・足底の角化症に続き、数十年の経過で日光非露光部にも多発するBowen病などの皮膚癌が出現します。ほかに末梢神経障害、鼻中隔穿孔、Mees線、肺癌・膀胱癌、肝血管肉腫も知られ、骨障害はカドミウム、再生不良性貧血はベンゼン、肝細胞癌は肝炎ウイルスやアフラトキシンと対応づけて整理できます。原因物質と標的臓器をペアで理解しておくことは、病歴から中毒や環境要因を見抜き、合併する悪性腫瘍の検索につなげるための基礎になります。
解答・解説
正解はcです
ヒ素(As)は、急性中毒では嘔吐・下痢・ショックなどの消化器・循環器症状を、慢性中毒では皮膚・神経・発癌を中心とする多彩な障害をひき起こす。慢性ヒ素中毒の多くは、ヒ素を含む地下水(井戸水)の飲用などによる長期曝露で生じ、海外ではバングラデシュ、インド、台湾、中国などで大規模な健康被害が知られている。日本でも宮崎県土呂久や島根県笹ヶ谷の鉱山周辺で慢性ヒ素中毒が発生し、公害病として認定されている。 慢性ヒ素中毒の症状は、皮膚所見が最も重要である。 ・色素沈着と白斑(脱色素斑)が混在する「雨滴状」の色素異常 ・手掌・足底の点状〜疣状の角化症(ヒ素角化症) ・長期経過後のBowen病(表皮内有棘細胞癌)、有棘細胞癌、基底細胞癌などの皮膚癌(多発しやすく、日光非露光部にも生じる) このほか、多発性末梢神経障害(手袋靴下型の感覚障害)、鼻中隔穿孔、爪のMees線(白色横線)、肺癌・膀胱癌などの内臓悪性腫瘍、肝血管肉腫などが知られる。 よって選択肢のうち慢性ヒ素中毒に特徴的なのはBowen病である。他の選択肢は、それぞれ別の原因物質・病態の代表的な結果として覚えておくと整理しやすい。
選択肢考察
- ×a. 肝細胞癌
肝細胞癌の主な原因はB型・C型肝炎ウイルスの持続感染、アルコール性肝障害、代謝機能障害関連脂肪性肝疾患(MASLD)などによる慢性肝疾患・肝硬変であり、化学物質ではカビ毒のアフラトキシンが知られる。ヒ素で問題となる肝臓の悪性腫瘍は肝細胞癌ではなく肝血管肉腫であり(ほかに塩化ビニル、トロトラストも原因となる)、慢性ヒ素中毒の典型像として肝細胞癌は挙げられない。
- ×b. 骨粗鬆症
重金属中毒で骨病変をきたすのはカドミウムである。慢性カドミウム中毒(イタイイタイ病)では腎近位尿細管障害によりリンやカルシウムが失われ、骨軟化症と骨粗鬆症が生じて多発骨折・骨痛をきたす。慢性ヒ素中毒の代表的な所見ではない。
- ○c. Bowen病
慢性ヒ素中毒の代表的な皮膚合併症である。Bowen病は、異型角化細胞が表皮内にとどまる有棘細胞癌の上皮内癌(表皮内癌)で、境界明瞭でやや隆起した、鱗屑・痂皮を伴う紅褐色の局面として現れる。通常は高齢者の体幹や四肢に単発することが多いが、ヒ素によるものは曝露から長期間(しばしば数十年)を経て、日光の当たらない体幹などにも多発するのが特徴である。放置すると浸潤性の有棘細胞癌(Bowen癌)へ進展しうる。
- ×d. 慢性気管支炎
慢性気管支炎の最大の原因は喫煙であり、粉じんや大気汚染なども関与する。ヒ素の吸入曝露で気道刺激症状が生じることはあるが、慢性ヒ素中毒の特徴的所見としては挙げられない。ヒ素と呼吸器の関連で重要なのは慢性気管支炎ではなく肺癌の発生である。
- ×e. 再生不良性貧血
化学物質による再生不良性貧血の代表はベンゼンであり、薬剤ではクロラムフェニコールや抗がん薬などが知られる。ヒ素中毒でも骨髄抑制による貧血や白血球減少をみることはあるが、慢性ヒ素中毒の典型的な合併症として再生不良性貧血は位置づけられておらず、本問で選ぶべき所見ではない。
慢性ヒ素中毒の主な症状のまとめ
・皮膚:雨滴状の色素沈着と脱色素斑、手掌・足底の角化症、Bowen病・有棘細胞癌・基底細胞癌 ・爪:Mees線(爪の白色横線) ・神経:多発性末梢神経障害(感覚優位、手袋靴下型) ・粘膜:鼻中隔穿孔 ・悪性腫瘍:皮膚癌、肺癌、膀胱癌、肝血管肉腫 ・その他:末梢循環障害(台湾の烏脚病〈blackfoot disease〉:下肢の壊疽)、非肝硬変性門脈圧亢進症
急性ヒ素中毒
経口摂取後に激しい嘔吐、米のとぎ汁様の水様性下痢、腹痛をきたし、脱水からショックに至る。QT延長による不整脈もみられる。治療にはキレート剤のジメルカプロール(BAL)が用いられる。日本では1998年の和歌山毒物カレー事件、1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件が知られる。
重金属・化学物質と代表的な障害の対応
・ヒ素:皮膚の色素異常・角化症、Bowen病、末梢神経障害、肺癌・膀胱癌 ・カドミウム:腎尿細管障害、骨軟化症(イタイイタイ病) ・有機水銀:小脳失調、求心性視野狭窄、感覚障害(水俣病、Hunter-Russell症候群) ・鉛:小球性貧血(好塩基性斑点)、腹痛(鉛疝痛)、橈骨神経麻痺(下垂手) ・ベンゼン:再生不良性貧血、白血病 ・塩化ビニル:肝血管肉腫 ・アスベスト:悪性中皮腫、肺癌
なお
ヒ素化合物の三酸化ヒ素(亜ヒ酸)は、急性前骨髄球性白血病の治療薬として用いられている。
POINT
・慢性ヒ素中毒では皮膚症状(色素沈着と白斑の混在、手掌・足底の角化症)が最も重要であり、長期経過でBowen病などの皮膚癌を生じる。 ・ほかに末梢神経障害、鼻中隔穿孔、Mees線、肺癌・膀胱癌、肝血管肉腫がみられる。 ・骨障害はカドミウム、再生不良性貧血はベンゼン、肝細胞癌は肝炎ウイルス・アフラトキシンと対応づけて覚える。
