見える範囲が狭まり、足元がふらつく―水俣病が教えるメチル水銀の脳への爪痕
第104回医師国家試験 I問題 第78問
国試問題にチャレンジ
長期間の摂取によって,求心性視野狭窄,難聴,構音障害,小脳性運動失調,錐体外路徴候および四肢遠位部の感覚障害をきたすのはどれか。
- a.塩酸第2鉄
- b.硫酸銅
- c.マンガン
- d.タリウム
- e.有機水銀
- f.メタノール
- g.エタノール
- h.有機リン
- i.トルエン
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
求心性視野狭窄、難聴、構音障害、小脳性運動失調、四肢遠位部の感覚障害がそろう病像はHunter-Russell症候群と呼ばれ、有機水銀(主にメチル水銀)の中毒、すなわち水俣病の典型像です。メチル水銀は脂溶性が高く血液脳関門を通過し、後頭葉視覚野、側頭葉聴覚野、小脳、体性感覚野などを障害するため、視野狭窄は視神経ではなく大脳視覚野の障害によるとされます。視神経障害で失明するメタノール、パーキンソニズムのマンガン、脱毛と有痛性ニューロパチーのタリウム、コリン作動性症状の有機リンなど、中毒物質はそれぞれ特徴的な症状で区別できます。また水銀は金属水銀・無機水銀・有機水銀で症状が異なり、有機水銀は胎盤を通過して胎児性水俣病を起こす点も重要です。症状を単独でなく「セット」と「障害部位」で捉える姿勢は、中毒学に限らず神経症状の鑑別全般に役立ちます。
解答・解説
正解はeです
問われていること
長期間の摂取で「求心性視野狭窄・難聴・構音障害・小脳性運動失調・四肢遠位部の感覚障害」をきたす物質を選ぶ問題である。これらは有機水銀(主にメチル水銀)中毒の典型症状の組み合わせで、Hunter-Russell症候群と呼ばれる。日本では、工場排水中のメチル水銀が魚介類に蓄積し、それを長期間食べた住民に発生した水俣病(熊本県水俣湾周辺、新潟県阿賀野川流域)として知られる。
正解を導く考え方
メチル水銀は脂溶性が高く、消化管からほぼ完全に吸収され、血液脳関門を通過して中枢神経に蓄積する。障害されやすい部位と症状の対応は次のとおりである。 ・大脳の後頭葉鳥距溝周囲(視覚野)→ 求心性視野狭窄(視野の周辺から見えなくなる) ・側頭葉の聴覚野 → 難聴 ・小脳(特に顆粒細胞層)→ 小脳性運動失調、構音障害(断綴性言語など) ・中心後回(体性感覚野)や末梢神経 → 四肢遠位部や口周囲のしびれ・感覚障害 このように「視野狭窄+小脳失調+感覚障害」の組み合わせが見えたら有機水銀と結びつけられる。他の物質では、マンガン → パーキンソニズム、メタノール → 視神経障害による失明、タリウム → 脱毛と有痛性ニューロパチー、有機リン → コリン作動性症状、というように、それぞれ特徴的な症状で区別する。
選択肢考察
- ×a. 塩酸第2鉄
「塩酸第2鉄」という名称の物質は一般的ではなく、塩化第二鉄(FeCl3)を指すと考えられる。塩化第二鉄は腐食性があり、皮膚・粘膜の化学損傷や眼の障害を起こす。鉄剤などを大量に摂取した急性鉄中毒では、消化管出血、ショック、代謝性アシドーシス、肝障害がみられ、慢性的な鉄過剰では肝・膵・心などへの鉄沈着(ヘモクロマトーシス)を生じる。いずれも設問の神経症状の組み合わせとは合わない。
- ×b. 硫酸銅
硫酸銅は皮膚・粘膜刺激性があり、経口摂取すると嘔吐・下痢などの急性胃腸炎、溶血性貧血、肝障害や腎障害を起こす。粉じんやヒュームの吸入では鼻中隔穿孔などが報告されている。銅の体内蓄積による神経症状(錐体外路症状など)はWilson病(遺伝性の銅排泄障害)で問題になるが、摂取による中毒で設問の症状群をきたすことはない。
- ×c. マンガン
マンガンは鉱山や製鋼・溶接作業で吸入曝露されることが多く、慢性中毒では淡蒼球など大脳基底核が障害され、パーキンソン症候群(仮面様顔貌、小刻み歩行・突進歩行、筋強剛など)を呈する。初期には易刺激性や情動不安定などの精神症状(マンガン狂)もみられる。急性の吸入ではマンガン肺炎を起こす。錐体外路徴候は共通するが、求心性視野狭窄や小脳性運動失調・感覚障害を特徴とはしない。
- ×d. タリウム
タリウムはかつて殺鼠剤に用いられた重金属で、悪心・嘔吐・腹痛などの消化器症状に続いて、強い痛みを伴う末梢神経障害(特に下肢)、運動失調、筋力低下が現れ、摂取後2~3週で脱毛が起こるのが特徴である。爪の横線(Mees線)、腎障害、不整脈、脳症もみられる。求心性視野狭窄と小脳失調を中心とする症状群はタリウムの典型ではない。
- ○e. 有機水銀
メチル水銀などの有機水銀は脂溶性が高く中枢神経に蓄積し、後頭葉視覚野(求心性視野狭窄)、側頭葉聴覚野(難聴)、小脳(小脳性運動失調・構音障害)、体性感覚野や末梢神経(四肢遠位部・口周囲の感覚障害)を障害する。これがHunter-Russell症候群であり、水俣病の症状そのものである。さらに振戦などの錐体外路徴候もみられる。また胎盤を通過しやすく、妊娠中の母体の摂取により胎児性水俣病(脳性麻痺様の症状、知的障害)を生じる。設問の症状をすべて説明できる。
- ×f. メタノール
メタノールはアルコール脱水素酵素によってホルムアルデヒド、さらにギ酸へと代謝され、ギ酸が視神経・網膜を障害して視力低下や失明を起こす。同時にアニオンギャップ開大性の代謝性アシドーシスを呈する。視覚障害は視神経障害によるもので、視野の周辺から狭くなる求心性視野狭窄とは異なり、中心暗点や高度の視力低下が主体である。治療にはエタノールやホメピゾール(アルコール脱水素酵素阻害薬)、血液透析が用いられる。
- ×g. エタノール
急性中毒では、血中濃度の上昇に応じて多弁・判断力低下から、構音障害、運動失調、嘔吐、意識障害、呼吸抑制へと進む。長期大量摂取では、ビタミンB1欠乏によるWernicke脳症(意識障害・眼球運動障害・失調)とKorsakoff症候群(健忘・作話・見当識障害)、小脳虫部の変性による体幹失調、多発ニューロパチー、アルコール性肝障害などを起こす。小脳失調や感覚障害は重なるものの、求心性視野狭窄や難聴を含む設問の症状群の典型ではない。
- ×h. 有機リン
有機リンは農薬(殺虫剤)やサリンなどの神経剤に含まれ、アセチルコリンエステラーゼを阻害してアセチルコリンを蓄積させる。ムスカリン様作用(縮瞳、流涎、流涙、発汗、徐脈、気管支分泌増加、下痢)とニコチン様作用(筋線維束攣縮、脱力、呼吸筋麻痺)が急性中毒の中心で、治療にはアトロピンとプラリドキシム(PAM)を用いる。数週後に遅発性ニューロパチーを起こすことはあるが、設問の症状群とは異なる。
- ×i. トルエン
トルエンは塗料・シンナーなどに含まれる有機溶剤である。急性曝露では酩酊・意識障害などの中枢神経抑制を、慢性曝露では頭痛・めまい・倦怠感などの不定愁訴を起こし、乱用者では大脳白質障害による認知機能低下、小脳失調、難聴や、遠位尿細管性アシドーシスによる低K血症がみられることもある。しかし、求心性視野狭窄と四肢遠位部の感覚障害を含む設問の組み合わせは有機水銀に特徴的であり、トルエンの典型像ではない。
水銀中毒の3つの型
・金属水銀(水銀蒸気の吸入):肺から吸収され、中枢神経に移行する。振戦(手指の細かなふるえ)、精神症状(易刺激性・内気・情緒不安定などの「エレチズム」)、歯肉炎・口内炎がみられる。急性の大量吸入では間質性肺炎を起こす。 ・無機水銀(昇汞=塩化第二水銀など):消化管からの吸収は少ないが腐食性が強く、急性摂取では消化管の腐食・出血、腎の近位尿細管壊死による急性腎不全が特徴である。 ・有機水銀(メチル水銀など):経口摂取でほぼ完全に吸収され、中枢神経を選択的に障害する。Hunter-Russell症候群(感覚障害、求心性視野狭窄、小脳性運動失調、構音障害、難聴)を呈し、胎盤を通過して胎児性水俣病の原因となる。
水俣病
・熊本県水俣湾周辺(1956年公式確認)と新潟県阿賀野川流域(第二水俣病、1965年公式確認)で発生した。 ・工場(アセトアルデヒド製造工程)の排水に含まれたメチル水銀が、食物連鎖で魚介類に生物濃縮し、それを食べた住民に発症した。 ・四大公害病の一つである(ほかにイタイイタイ病〈カドミウム〉、四日市ぜんそく〈硫黄酸化物〉、新潟水俣病)。 ・現在も、妊婦ではメチル水銀を多く含む大型魚(マグロ類・キンメダイなど)の摂取量に目安が示されている。
主な中毒物質と特徴的症状の整理
・有機水銀:求心性視野狭窄、小脳失調、感覚障害 ・マンガン:パーキンソニズム ・タリウム:脱毛、有痛性ニューロパチー ・鉛:貧血(好塩基性斑点)、腹痛(鉛疝痛)、橈骨神経麻痺による下垂手 ・ヒ素:皮膚の色素沈着・角化症、末梢神経障害、Mees線 ・カドミウム:腎尿細管障害、骨軟化症(イタイイタイ病) ・メタノール:視神経障害による失明、代謝性アシドーシス ・有機リン:縮瞳・流涎などのコリン作動性症状 ・n-ヘキサン:多発ニューロパチー ・一酸化炭素:間欠型CO中毒(遅発性の白質脳症)
POINT
・有機水銀(メチル水銀)中毒 = 水俣病 = Hunter-Russell症候群。 ・5大症状:四肢遠位部・口周囲の感覚障害、求心性視野狭窄、小脳性運動失調、構音障害、難聴。 ・求心性視野狭窄は後頭葉視覚野の障害による(視神経障害ではない)。 ・胎盤を通過し胎児性水俣病を起こす。 ・水銀は型で症状が違う:金属水銀 → 振戦・精神症状、無機水銀 → 腎障害、有機水銀 → 中枢神経障害。 ・視覚障害でも、メタノールは視神経障害による視力低下・失明である点で区別する。
