温痛覚は消えても振動はわかる―血管の「縄張り」で解く前脊髄動脈症候群
第110回医師国家試験 H問題 第16問
国試問題にチャレンジ
前脊髄動脈症候群の急性期にみられない徴候はどれか。
- a.下肢運動麻痺
- b.下肢振動覚消失
- c.下肢温痛覚消失
- d.下肢腱反射消失
- e.膀胱直腸障害
対話形式の解説
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ドクターまとめ
前脊髄動脈は脊髄横断面の前方約3分の2(前角・側索・前索)を、後脊髄動脈は後方約3分の1(後索)を栄養するため、前脊髄動脈症候群では運動麻痺、障害部以下の両側の温痛覚消失、膀胱直腸障害が生じる一方、後索が伝える振動覚・位置覚は保たれます。この温痛覚障害と深部感覚保持の組み合わせを解離性感覚障害と呼び、本症候群の診断の手がかりになります。急性期には脊髄ショックにより弛緩性麻痺と腱反射消失を示し、慢性期には痙性麻痺と腱反射亢進へ移行する点も重要です。原因として大動脈解離や大動脈瘤治療に伴うAdamkiewicz動脈の血流障害を押さえておく必要があります。脊髄の伝導路と血管支配を対応させて理解すれば、Brown-Séquard症候群や脊髄空洞症など他の脊髄症候群も同じ考え方で整理できます。
解答・解説
正解はbです
前脊髄動脈症候群は、前脊髄動脈の閉塞(脊髄梗塞)によって起こる脊髄障害であり、症状は「どの伝導路が前脊髄動脈で栄養されているか」から論理的に導くことができる。 脊髄の血液供給は、腹側正中を縦走する1本の前脊髄動脈と、背側を走る左右2本の後脊髄動脈によって行われる。前脊髄動脈は脊髄横断面の前方約2/3(前角、側索、前索)を、後脊髄動脈は後方約1/3(後索と後角の一部)を栄養する。したがって前脊髄動脈が閉塞すると、 ・前角(下位運動ニューロン)と側索の外側皮質脊髄路(錐体路)の障害 → 運動麻痺 ・前側索を上行する外側脊髄視床路の障害 → 温痛覚の消失 ・側索を下行する自律神経路の障害 → 膀胱直腸障害 が生じる一方、後索(深部感覚・振動覚・位置覚・識別性触覚を伝える)は後脊髄動脈の灌流域であるため保たれる。このように、温痛覚は障害されるが深部感覚は保たれる状態を解離性感覚障害とよび、本症候群の最大の特徴である。 本問は「急性期にみられない徴候」を問うており、後索の機能である振動覚の消失が該当する。なお、急性期には脊髄ショックのため、障害部以下は弛緩性麻痺となり腱反射も消失する点にも注意する。
選択肢考察
- ×a. 下肢運動麻痺
みられる。前脊髄動脈の灌流域には、側索を下行する外側皮質脊髄路(錐体路)と前角の運動ニューロンが含まれる。胸髄レベルの梗塞では両下肢の対麻痺、頸髄レベルでは四肢麻痺が急激に出現し、ほぼ必発の症状である。急性期は脊髄ショックにより弛緩性麻痺となり、時間が経つと障害部以下に痙性麻痺(筋緊張亢進・腱反射亢進・Babinski徴候陽性)が現れる。
- ○b. 下肢振動覚消失
みられない徴候であり、これが正解。振動覚・関節位置覚・識別性触覚(精細な触圧覚)は後索(薄束・楔状束)を上行する。後索は左右の後脊髄動脈によって栄養されるため、前脊髄動脈の閉塞では障害されない。温痛覚が消失しているのに振動覚・位置覚が保たれるという解離性感覚障害が本症候群の診断の手がかりとなる。振動覚が障害される病態としては、脊髄癆(神経梅毒)、亜急性連合性脊髄変性症(ビタミンB12欠乏)、後脊髄動脈症候群、末梢神経障害などがある。
- ×c. 下肢温痛覚消失
みられる。温痛覚の線維は脊髄に入ると1〜2髄節上行してから前交連で交叉し、反対側の前側索にある外側脊髄視床路を上行する。この経路は前脊髄動脈の灌流域にあるため、障害部位以下の両側で温痛覚が消失する。
- ×d. 下肢腱反射消失
みられる。脊髄が急激に障害された直後は、上位中枢からの促通が突然途絶えることで、障害部以下の脊髄反射機能が一時的に全般的に抑制される(脊髄ショック)。このため急性期には弛緩性麻痺となり、下肢の腱反射は消失する。また、障害髄節そのものでは前角細胞(反射弓の遠心路)が障害されるため、その髄節の反射は消失する。脊髄ショックは数日〜数週で回復し、その後は錐体路障害を反映して障害部以下の腱反射が亢進してくる。急性期には「消失」、慢性期には「亢進」となる点が重要である。
- ×e. 膀胱直腸障害
みられる。排尿・排便を調節する上位中枢(脳幹の橋排尿中枢など)から仙髄の自律神経中枢へ下行する経路は側索を通り、前脊髄動脈の灌流域に含まれる。そのため、障害部位より下位の仙髄への下行性支配が途絶え、膀胱直腸障害が生じる。急性期は脊髄ショックにより排尿筋が収縮せず、尿閉となることが多い。
前脊髄動脈症候群の概要
・病態:前脊髄動脈の閉塞による脊髄前方2/3の梗塞。脊髄梗塞の中で最も頻度が高い。 ・原因:動脈硬化、大動脈解離、胸腹部大動脈瘤やその手術・ステント治療に伴うAdamkiewicz動脈(大前根動脈)の血流途絶、血管炎、塞栓、低血圧(ショック)、外傷など。Adamkiewicz動脈は多くの場合、下位胸椎〜上位腰椎レベル(主に左側)から入り、胸腰髄を栄養する重要な根動脈である。 ・好発部位:血流が乏しい分水嶺領域である上〜中位胸髄や、Adamkiewicz動脈の灌流域である下部胸髄〜腰膨大部に多いとされる。 ・症状:突然の背部痛・頸部痛で発症することが多く、数分〜数時間で症状が完成する。 ①障害部以下の運動麻痺(対麻痺または四肢麻痺) ②障害部以下の両側の温痛覚消失 ③深部感覚(振動覚・位置覚)・識別性触覚の保持(解離性感覚障害) ④膀胱直腸障害 ⑤急性期には脊髄ショックによる弛緩性麻痺・腱反射消失 ・診断:MRIの拡散強調画像やT2強調像で脊髄前方の高信号(矢状断で縦長、横断像で「owl's eye(フクロウの目)」様の前角の高信号)を認める。 ・予後:運動麻痺の回復は不良なことが多い。
脊髄横断面の主な伝導路と症状の対応
・後索:振動覚・位置覚・識別性触覚(同側を上行し、延髄で交叉) ・外側脊髄視床路(前側索):温痛覚(入った髄節付近で交叉し、対側を上行) ・外側皮質脊髄路(側索):随意運動(延髄錐体で交叉済みで、同側を下行) ・前角:下位運動ニューロン
関連する脊髄症候群との比較
・後脊髄動脈症候群:後索障害による深部感覚障害(運動は比較的保たれる)。 ・Brown-Séquard症候群(脊髄半側障害):障害側の運動麻痺と深部感覚障害、反対側の温痛覚障害。 ・脊髄空洞症:中心管周囲の前交連が障害され、宙吊り型(ジャケット型)の温痛覚障害が生じ、深部感覚は保たれる。 ・亜急性連合性脊髄変性症:後索と側索の障害。
POINT
・前脊髄動脈は脊髄の前方2/3(前角・側索・前索)を、後脊髄動脈は後方1/3(後索)を栄養する。 ・前脊髄動脈症候群:運動麻痺+温痛覚消失+膀胱直腸障害。後索機能(振動覚・位置覚)は保たれる(解離性感覚障害)。 ・急性期は脊髄ショックで弛緩性麻痺・腱反射消失、慢性期は痙性麻痺・腱反射亢進。 ・大動脈解離・胸腹部大動脈瘤の治療に伴うAdamkiewicz動脈の血流障害が重要な原因。
