痛いところは最後に触れ―腹部診察の手順と所見の読み方
第103回医師国家試験 H問題 第9問
国試問題にチャレンジ
腹部診察で誤っているのはどれか。
- a.視診で腹部の膨隆は腹水を疑う。
- b.聴診で金属性雑音は腸管通過障害を疑う。
- c.打診で鼓音部はガスが充満している。
- d.触診は疼痛部から始める。
- e.触診で反跳痛は腹膜刺激症状である。
対話形式の解説
ドクター
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ドクターまとめ
腹部診察は、腸雑音を正しく評価するため視診→聴診→打診→触診の順に行い、触診は痛みのない部位から浅く始めて疼痛部位は最後に診るのが原則です。最初に疼痛部を押すと腹壁が緊張し、筋性防御や他部位の圧痛、腫瘤などの所見が正確にとれなくなります。腹部膨隆は腹水を含む5つのFで鑑別し、金属性雑音は機械的イレウス、腸雑音の減弱・消失は麻痺性イレウスや腹膜炎、鼓音はガス、濁音は実質臓器・液体・腫瘤を示します。反跳痛や筋性防御は腹膜刺激症状であり、進行した絞扼性イレウスで腸雑音が減弱しうる点にも注意が必要です。正しい手順で所見をとり、その意味を解釈する力は、急性腹症の見逃しを防ぐ臨床の基本となります。
解答・解説
正解はdです
腹部の身体診察の手技と、その所見の意味を問う問題である。「誤っているのはどれか」を選ぶ形式であることに注意する。
腹部診察の順序
腹部は視診 → 聴診 → 打診 → 触診の順に行うのが原則である。胸部診察(視診・触診・打診・聴診)と異なり聴診を触診・打診より先に行うのは、腹壁を叩いたり押したりすると腸蠕動が刺激されて変化し、本来の腸雑音を正しく評価できなくなるためである。
各手技で見るもの
・視診:腹部の膨隆・陥凹、手術瘢痕、静脈の怒張(メドゥーサの頭など)、皮疹、蠕動の可視化など。 ・聴診:腸雑音(蠕動音)の亢進・減弱・消失、金属性雑音、血管雑音(腹部大動脈や腎動脈の狭窄・動脈瘤など)。 ・打診:鼓音(ガス)と濁音(実質臓器・液体・腫瘤)の分布、肝・脾の大きさ、腹水の有無(濁音界の移動)、叩打痛。 ・触診:圧痛の部位、筋性防御、反跳痛などの腹膜刺激症状、腫瘤や臓器腫大の有無と性状。
触診の進め方
触診は患者の緊張を解いた状態で、痛みのない部位から始め、まず浅く軽く、ついで深く触れ、疼痛部位は最後に診る。最初に痛い所に触れると、患者が身構えて腹壁が反射的に緊張し、その後の所見(腹壁の硬さ、他部位の圧痛、腫瘤など)が正しく評価できなくなる。したがって「触診は疼痛部から始める」という記述が誤りである。
選択肢考察
- ×a. 視診で腹部の膨隆は腹水を疑う。
正しい記述である。腹部全体の膨隆をみたら腹水の貯留を考える。腹部膨隆の原因は「5つのF」(fluid:腹水、fat:肥満、flatus:ガス、feces:便、fetus:妊娠)として整理され、ほかに腫瘍や尿閉による膀胱の膨隆なども鑑別に挙がる。腹水を確かめるには打診を追加し、仰臥位で側腹部が濁音・臍周囲が鼓音となり、側臥位にすると鼓音と濁音の境界が移動する(濁音界の移動、shifting dullness)ことを確認する。仰臥位で側腹部が張り出す「蛙腹」も大量腹水を示唆する所見である。
- ×b. 聴診で金属性雑音は腸管通過障害を疑う。
正しい記述である。正常の腸蠕動音はグル音として聴取される。腸管が機械的に閉塞する機械的イレウス(腸閉塞)では、閉塞部を越えようとして蠕動が亢進し、拡張した腸管内のガスと液体が響いて高い金属音(金属性雑音)が聴こえる。これに対し、麻痺性イレウスや汎発性腹膜炎では蠕動が低下して腸雑音は減弱・消失する。なお絞扼性イレウスが進行して腸管が壊死に陥ると、腸雑音はかえって減弱することがあるので注意する。
- ×c. 打診で鼓音部はガスが充満している。
正しい記述である。空気(ガス)を含む管腔臓器の上を打診すると、よく響く太鼓のような鼓音が得られる。正常でも胃泡部(左上腹部のトラウベの三角)や腸管の上は鼓音であり、イレウスなどで腸管内ガスが増えると鼓音の範囲が広がる。一方、肝臓や脾臓などの実質臓器、腹水、充満した膀胱、腫瘤の上では濁音となる。
- ○d. 触診は疼痛部から始める。
誤った記述であり、これが正解である。触診は痛みを訴える部位から最も離れた部位から始め、疼痛部位は最後に診るのが原則である。最初に疼痛部を押すと、痛みのために患者が身構えて腹壁が緊張し(随意的な防御)、筋性防御の有無や他の部位の圧痛、腫瘤の触知といった本来の所見の評価が難しくなる。また不必要な苦痛を与えて以後の診察への協力も得にくくなる。膝を立てて腹壁の力を抜いてもらい、温めた手で浅い触診から深い触診へと進める。
- ×e. 触診で反跳痛は腹膜刺激症状である。
正しい記述である。反跳痛(ブルンベルグ徴候)は、腹壁をゆっくり圧迫したのち急に手を離したときに、押していたときよりも強い痛みが生じる所見である。圧迫を解除した瞬間に腹膜が急に動いて伸展されるために起こり、炎症が壁側腹膜に及んでいることを示す。筋性防御や板状硬などとともに腹膜刺激症状の代表で、急性虫垂炎や消化管穿孔などによる腹膜炎を示唆する。
腹膜刺激症状の主な所見
・筋性防御(defense musculaire):触診時に腹壁の筋が反射的に緊張して硬くなる。 ・板状硬:汎発性腹膜炎で腹壁全体が板のように硬くなる。 ・反跳痛(ブルンベルグ徴候):圧迫を急に解除したときに痛みが増強する。 ・咳嗽試験・踵落とし試験(heel drop test):咳や踵を落とす振動で腹痛が増強する。 ・打診痛:軽い打診で痛みが誘発される。
腸雑音の変化と主な病態
・亢進・金属性雑音:機械的イレウス(単純性イレウスの初期など) ・亢進(金属音を伴わない):急性腸炎、下痢 ・減弱・消失:麻痺性イレウス、汎発性腹膜炎、進行した絞扼性イレウス 腸雑音の消失を判断するには、一定時間(数分程度)聴取を続ける必要がある。
腹水の身体所見
・濁音界の移動(shifting dullness):体位変換で鼓音と濁音の境界が移動する。 ・波動(fluid wave):一側の側腹部を叩くと対側に波動が伝わる。大量腹水で陽性となる。
診察時の配慮
仰臥位で両膝を立てて腹壁を弛緩させ、手を温めてから触れる。下腹部痛では婦人科疾患や泌尿器科疾患も鑑別に入れ、必要に応じて内診・直腸診を追加する。聴診では腸雑音だけでなく血管雑音の有無も確認する。
POINT
・腹部の診察は視診→聴診→打診→触診の順(聴診を触診・打診より先に行う)。 ・触診は痛みのない部位から始め、疼痛部位は最後に。浅い触診から深い触診へ。 ・金属性雑音=機械的イレウス、腸雑音の減弱・消失=麻痺性イレウス・腹膜炎。 ・鼓音=ガス、濁音=実質臓器・液体・腫瘤。 ・反跳痛・筋性防御は腹膜刺激症状。
