「家業を継ぐ、でいいのか?」―就活前の迷いにみるEriksonの自我同一性
第103回医師国家試験 B問題 第43問
国試問題にチャレンジ
22歳の男性。地方都市の素封家に生まれ,不自由なく育った。地元の高校を卒業後,大都市の大学に入学した。ほどほどに勉強し,サークル活動に参加し,親友もでき,ガールフレンドができたり別れたりして,大学生活に満足しているつもりだった。ところが,友人たちが就職を話題にする時期になって,自分は人生に何を求めているのか,わからなくなってしまった。両親は家業を継ぐことを期待しているし,自分もそのつもりだったが,それでいいのだろうか。このまま社会に出るのが不安になってきた。 この青年が直面している課題はどれか。
- a.社会性の習得
- b.分離不安の克服
- c.自我同一性の形成
- d.自己中心性の獲得
- e.抽象的思考能力の向上
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
就職を前に「自分は人生に何を求めているのか」「親の期待どおり家業を継ぐのでよいのか」と悩む青年は、Eriksonの心理社会的発達理論でいう青年期の課題、自我同一性(アイデンティティ)の形成に直面しています。この課題がうまく達成されないと同一性拡散に陥り、社会的責任を猶予されて自己を模索する期間はモラトリアムと呼ばれます。社会性の習得は幼児期〜学童期、分離不安は乳幼児期、自己中心性はPiagetの前操作期(2〜7歳)、抽象的思考は形式的操作期(11〜12歳以降)の話題であり、本例には当てはまりません。EriksonとPiagetの発達段階を年齢とともに整理しておくと、選択肢の理論の混在に惑わされずに判断できます。青年期の正常な迷いと精神疾患を見分ける視点は、思春期・青年期の患者を診る臨床でも役立ちます。
解答・解説
正解はcです
症例の整理
・22歳の男性で、裕福な家庭に育ち、大学生活では学業・サークル・友人関係・恋愛をそれなりにこなしてきた。対人関係や社会生活の基盤には問題がない。 ・就職が話題になる時期を迎え、「自分は人生に何を求めているのか」がわからなくなった。親の期待(家業を継ぐ)と、それを当然としてきた自分の考えに疑問を抱き、社会に出ることへの不安を感じている。 ・幻覚・妄想、抑うつ気分、行動の異常などの精神症状の記載はなく、精神疾患の診断を問う問題ではない。青年期に誰もが経験しうる心理的な課題を、発達心理学の用語で説明できるかを問うている。
考え方
Erikson(エリクソン)は、人の一生を8つの段階に分け、各段階に「心理社会的危機(乗り越えるべき課題)」があるとした(心理社会的発達理論)。青年期の課題は「自我同一性(アイデンティティ)の確立 対 同一性拡散」である。自我同一性とは、「自分は何者で、何をしたいのか、社会の中でどのような役割を担うのか」についての一貫した感覚である。 本例の青年は、親から与えられた進路(家業)をそのまま受け入れてよいのかを問い直し、自分の生き方や職業上の役割を主体的に選び取ろうとして迷っている。これはまさに自我同一性の形成という課題に直面している状態である。社会的責任を一時的に猶予されて自分探しをする期間を、Eriksonは心理社会的モラトリアムと呼んだ。
選択肢考察
- ×a. 社会性の習得
社会性(他者と関係を築き、集団の規範の中で協調して行動する力)は、幼児期から学童期にかけての集団生活を通じて主に身につく。本例は親元を離れて大学生活を送り、サークル活動に参加し、親友や交際相手もいるなど、社会性はすでに十分獲得していると考えられる。悩みの中心は対人関係ではなく、自分の生き方の方向づけである。
- ×b. 分離不安の克服
分離不安とは、愛着の対象(主に母親)から離れることに対する不安であり、生後8か月頃から幼児期に目立つ。Mahler(マーラー)の分離-個体化理論では、幼児が母親との一体感から離れて自立した個体としての感覚を得ていく過程で克服される課題とされる。本例は親元を離れて都市で大学生活を問題なく送っており、一人になることへの不安を抱えているわけではない。
- ○c. 自我同一性の形成
Eriksonの心理社会的発達理論で、青年期に達成すべき課題とされるのが自我同一性(アイデンティティ)の確立である。本例は就職を前に「自分は人生に何を求めているのか」「親の期待どおり家業を継ぐのでよいのか」と自問し、社会人としての自分の役割を決めかねている。これは自分が何者であり社会でどう生きるかを統合しようとする過程そのものであり、この青年が直面している課題として最も適切である。この課題がうまく達成されないと、自分が何者かわからない混乱状態(同一性拡散)に陥る。
- ×d. 自己中心性の獲得
Piaget(ピアジェ)の認知発達理論でいう自己中心性とは、自分の視点からしか物事をとらえられず、他者の視点に立てない思考の特徴であり、おおむね2〜7歳の前操作期にみられる。これは発達課題として獲得を目指すものではなく、学童期に脱中心化によって乗り越えられていく性質である。本例の悩みとは関係がない。
- ×e. 抽象的思考能力の向上
Piagetの理論では、学童期(おおむね7〜11歳)の具体的操作期には具体物に即した論理的思考が可能になり、11〜12歳頃以降の形式的操作期に、仮説を立てて推論するなどの抽象的思考が可能になる。22歳の大学生である本例はすでにこの段階に達しており、思考能力の不足に悩んでいるのではない。自分の生き方を問い直せること自体、抽象的思考ができている表れといえる。
Eriksonの心理社会的発達段階(8段階)
1. 乳児期: 基本的信頼 対 不信 2. 幼児期前期: 自律性 対 恥・疑惑 3. 幼児期後期(遊戯期): 自発性(積極性) 対 罪悪感 4. 学童期: 勤勉性 対 劣等感 5. 青年期: 自我同一性の確立 対 同一性拡散 6. 成人期前期: 親密性 対 孤立 7. 成人期(壮年期): 生殖性(世代性) 対 停滞 8. 老年期: 統合 対 絶望
関連用語
・モラトリアム: 青年が社会的な責任や義務を一時的に猶予され、さまざまな役割を試しながら自己を模索する期間。 ・同一性拡散: 自分が何者で何をしたいのかがまとまらず、将来の展望を失ったり、無気力になったりする状態。 ・なお精神病理学では、自我意識の要素(能動性、単一性、同一性、限界性)の一つとして「時間を通じて自分が同じ自分である」という意味での自我同一性を扱う。この障害は解離性同一症(いわゆる多重人格)などで問題となる。本問の「自我同一性」は、Eriksonの発達論の意味である。
Piagetの認知発達段階
・感覚運動期(0〜2歳): 感覚と運動を通じて外界を理解する。対象の永続性を獲得する。 ・前操作期(2〜7歳): 言葉やイメージによる表象的思考が可能になるが、自己中心性がみられる。 ・具体的操作期(7〜11歳): 保存の概念を獲得し、具体物について論理的に考えられる。脱中心化が進む。 ・形式的操作期(11〜12歳以降): 抽象的・仮説演繹的な思考が可能になる。
分離不安
愛着の対象と離れることへの不安で、乳幼児期には正常な発達過程の一部である。発達段階に不相応に強く持続する場合は、分離不安症として診断されることがある。
POINT
・青年期の発達課題はEriksonのいう自我同一性(アイデンティティ)の確立であり、失敗すると同一性拡散に陥る。 ・進路選択を前に「自分は何者で、何を求めているのか」と悩むのは、自我同一性の形成という課題に直面している状態である。 ・分離不安は乳幼児期、自己中心性は前操作期(2〜7歳)、抽象的思考は形式的操作期(11〜12歳以降)の特徴である。 ・Eriksonの8段階とPiagetの4段階を年齢とともに整理しておく。
