StudyMed医師国家試験

ノーベル賞と日本の医学者―「受賞した人」と「受賞しなかった偉人」を見分ける

第99回医師国家試験 B問題 第50問

国試問題にチャレンジ

第99回 B問題 第50問

ノーベル生理学・医学賞を受賞したのはだれか。

  1. a.北里柴三郎
  2. b.小柴昌俊
  3. c.田中耕一
  4. d.利根川進
  5. e.野口英世

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は医学史の一般教養を問う問題だ。5人とも日本を代表する科学者だけれど、ノーベル賞との関わり方はそれぞれ違う。見分けるポイントは、受賞したかどうか、受賞したならどの部門か、そして何の業績か、の3つだよ。
医学生医学生
北里柴三郎と野口英世はお札にもなっている有名な医学者なので、どちらかがノーベル賞をもらっていそうな気がしてしまいます。
ドクタードクター
そう感じる人は多いね。でも実は、2人とも受賞はしていない。北里柴三郎はドイツのコッホのもとで学び、破傷風菌の純粋培養に成功した。さらにベーリングと共同で破傷風やジフテリアの抗毒素を見つけ、血清療法の基礎を築いたんだ。
医学生医学生
微生物学の講義で、血清療法はベーリングがノーベル賞をとったと習いました。北里は一緒に研究していたのに、受賞しなかったんですか。
ドクタードクター
そうなんだ。1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞は、ジフテリアの血清療法の業績でベーリング単独に贈られ、北里は受賞者に含まれなかった。北里はその後、香港でペスト菌も発見しているし、帰国後は伝染病研究所や北里研究所を創設して、日本の医学と公衆衛生の発展に大きく貢献したよ。
医学生医学生
野口英世は黄熱病の研究で有名ですよね。
ドクタードクター
野口英世はロックフェラー医学研究所で研究し、進行麻痺の患者の脳から梅毒トレポネーマを検出して、進行麻痺が梅毒によって起こることを示した。これが代表的な業績だ。受賞候補に名前が挙がったとされるけれど、受賞はしていない。黄熱病や狂犬病の病原体を見つけたという報告は、のちに病原体がウイルスだとわかって誤りだったことが判明している。最後は黄熱病の研究で訪れた西アフリカで、自身も黄熱病にかかって亡くなったんだ。
医学生医学生
小柴昌俊さんと田中耕一さんは2002年に同時に受賞して話題になった人ですよね。どちらかが生理学・医学賞だった気もします。
ドクタードクター
そこが引っかけだね。2人とも2002年の受賞だけど、小柴昌俊は物理学賞、田中耕一は化学賞だ。小柴はカミオカンデで、超新星から飛んできたニュートリノを世界で初めて捉えた。田中はタンパク質のような大きな分子を壊さずにイオン化し、質量分析する方法を開発したんだ。
医学生医学生
田中さんの技術って、医療とも関係があるんですか。
ドクタードクター
大いにあるよ。その方法はMALDIという技術の基盤になっていて、今では臨床検査室でMALDI-TOF MSを使い、培養した細菌や真菌を短時間で同定している。化学賞の業績が、日々の感染症診療を支えているわけだ。
医学生医学生
臨床実習で検査部を見学したとき、菌の同定がすごく早くなったと技師さんが話していました。あれのことだったんですね。そうすると、生理学・医学賞は利根川進ですか。
ドクタードクター
正解。利根川進は1987年に生理学・医学賞を単独で受賞した、日本人初の同賞受賞者だ。受賞理由は「抗体の多様性を生み出す遺伝的原理の解明」だよ。
医学生医学生
免疫学の講義で習ったV(D)J組換えですね。でも、抗体の構造を解き明かした人だと思い込んでいました。
ドクタードクター
そこはよく誤解されるポイントだね。遺伝子の数は限られているのに、なぜ無数の抗原に対応できる抗体を作れるのか、という疑問に答えたのが利根川の研究だ。B細胞が成熟する過程で、V、D、Jの遺伝子断片から1つずつが選ばれ、DNAレベルで組み換えられてつながる。この遺伝子再構成を実験で証明したことが評価されたんだ。抗体の立体構造の解明ではないから注意しよう。
医学生医学生
組み合わせで多様性を作るなんて、限られた手持ちの部品で無数の鍵を作るようなものですね。
ドクタードクター
うまいたとえだね。せっかくだから、その後の日本人の生理学・医学賞受賞者も押さえておこう。2012年の山中伸弥はiPS細胞、2015年の大村智はイベルメクチンにつながるエバーメクチンの発見、2016年の大隅良典はオートファジーの仕組みの解明、2018年の本庶佑はPD-1の研究から免疫チェックポイント阻害薬につながるがん治療、そして2025年の坂口志文は制御性T細胞の発見だ。
医学生医学生
免疫学関係が多いですね。ニボルマブは腫瘍内科の実習で実際に使われているのを見ました。
ドクタードクター
そうだね。基礎研究の成果が、今まさに臨床で使われている薬や検査になっている。受賞しなかった北里の血清療法の考え方も、破傷風ヒト免疫グロブリンやジフテリア抗毒素の治療として今に受け継がれているよ。医学史は暗記科目と思われがちだけど、誰が何を見つけたかを知ると、今の医療がどう積み上がってきたかが見えてくるんだ。

まとめ

日本人で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞したのは利根川進(1987年)で、受賞理由はV(D)J組換えによる抗体の多様性の遺伝的原理の解明であり、抗体の構造解明ではない点に注意が必要です。2002年に同時受賞した小柴昌俊は物理学賞(ニュートリノの検出)、田中耕一は化学賞(生体高分子の質量分析法)で、後者は臨床検査での菌の迅速同定に役立っています。北里柴三郎(破傷風菌の純粋培養、血清療法、ペスト菌の発見)と野口英世(進行麻痺の患者の脳からの梅毒トレポネーマの検出)は世界的な業績をあげましたが、ノーベル賞は受賞していません。その後の生理学・医学賞受賞者である山中伸弥(iPS細胞)、大村智(イベルメクチン)、大隅良典(オートファジー)、本庶佑(PD-1)、坂口志文(制御性T細胞)もあわせて覚えておきましょう。受賞者と業績をセットで理解すると、基礎研究が現在の診断・治療にどうつながっているかが見えてきます。

解答・解説

正解はdです

日本人の業績と医学史に関する一般教養を問う問題である。選択肢の5人はいずれも日本を代表する科学者・医学者だが、ノーベル賞との関わり方はそれぞれ異なる。見分けるには、次の3点を人物ごとに確認すればよい。 1) ノーベル賞を受賞したか(候補にとどまったか) 2) 受賞したのはどの部門か(生理学・医学賞、物理学賞、化学賞) 3) どの業績で受賞したか 小柴昌俊と田中耕一は2002年に同時にノーベル賞を受賞して大きな話題となったが、部門はそれぞれ物理学賞と化学賞であり、生理学・医学賞ではない。北里柴三郎と野口英世は明治から昭和初期にかけて世界的な業績をあげ、受賞候補として名前が挙がったとされるが、受賞には至らなかった。生理学・医学賞を受賞したのは利根川進(1987年)であり、日本人として初めての同賞受賞者である。

選択肢考察

  1. ×a.  北里柴三郎

    明治期を代表する細菌学者であり、ノーベル賞は受賞していない。ドイツのコッホ(Robert Koch)のもとで学び、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功した。さらに1890年にはベーリング(Emil von Behring)と共同で、破傷風とジフテリアの抗毒素(毒素を中和する抗体を含む血清)を発見し、血清療法の基礎を築いた。ところが1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞は、ジフテリアの血清療法の業績によりベーリング単独に授与され、北里は受賞者に含まれなかった。1894年には香港でペスト菌を発見している。帰国後は伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所の前身)や北里研究所を創設し、慶應義塾大学医学科の初代科長、日本医師会の初代会長なども務めて、日本の医学・公衆衛生の発展に大きく貢献した。

  2. ×b.  小柴昌俊

    物理学者であり、2002年に受賞したのはノーベル物理学賞である。生理学・医学賞ではない。岐阜県神岡鉱山の地下に建設した観測装置カミオカンデで、1987年に大マゼラン雲の超新星(SN1987A)から飛来したニュートリノ(素粒子の一種)を世界で初めて捉えた。この功績により、宇宙ニュートリノの検出によるニュートリノ天文学の創始者として評価された。東京大学特別栄誉教授を務めた。

  3. ×c.  田中耕一

    島津製作所の技術者であり、2002年に受賞したのはノーベル化学賞である。生理学・医学賞ではない。タンパク質のような大きな生体分子を、壊さずにイオン化して質量分析する方法(ソフトレーザー脱離イオン化法)を開発した。これはのちのMALDI(マトリックス支援レーザー脱離イオン化法)の基盤となった。この技術は現在、医療の現場でも使われている。例えば臨床検査室で、MALDI-TOF MS(飛行時間型質量分析計)により培養した細菌や真菌を迅速に同定する方法として広く用いられている。

  4. ○d.  利根川進

    1987年にノーベル生理学・医学賞を単独で受賞しており、これが正解である。日本人として初めての生理学・医学賞受賞者である。受賞理由は「抗体の多様性を生み出す遺伝的原理の解明」であった。ヒトの遺伝子の数は限られているのに、なぜ無数の抗原に対応できるほど多様な抗体(免疫グロブリン)を作れるのか、という問題に答えたのがこの研究である。B細胞が成熟する過程で、V(可変)、D(多様性)、J(結合)の各遺伝子断片の中から1つずつが選ばれ、DNAレベルで組み換えられて連結する。この遺伝子再構成(V(D)J組換え)が多様性の基本的な仕組みであることを、スイスのバーゼル免疫学研究所で実験的に証明した。受賞理由は免疫グロブリンの立体構造そのものの解明ではなく、遺伝子再構成の証明である点に注意したい。のちにマサチューセッツ工科大学(MIT)教授となり、研究の中心を神経科学(記憶の分子・神経回路機構)に移した。

  5. ×e.  野口英世

    細菌学者であり、ノーベル生理学・医学賞の候補として複数回名前が挙がったとされるが、受賞はしていない。米国ロックフェラー医学研究所で研究を行い、1913年に進行麻痺(脳の梅毒)の患者の脳から梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum)を検出した。これにより、進行麻痺が梅毒によって起こる病気であることを示したのが代表的な業績である。一方で、黄熱病や狂犬病などの病原体を発見したとする報告は、のちにウイルスが病原体であることがわかり、誤りであったことが判明している。黄熱病の研究のため訪れた西アフリカのアクラ(現在のガーナ)で、1928年に黄熱病に感染して死去した。

日本人(日本出身者を含む)のノーベル生理学・医学賞受賞者

・1987年 利根川進:抗体の多様性を生み出す遺伝的原理(免疫グロブリン遺伝子の再構成)の解明 ・2012年 山中伸弥:成熟した細胞を初期化して多能性をもたせることができることの発見(iPS細胞、人工多能性幹細胞)。ガードン(John Gurdon)と共同受賞 ・2015年 大村智:線虫による寄生虫感染症の新しい治療法の発見(イベルメクチンの開発につながった放線菌由来のエバーメクチン)。オンコセルカ症やリンパ系フィラリア症の制圧に貢献した。キャンベル(William Campbell)、屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)と共同受賞 ・2016年 大隅良典:オートファジー(細胞が自身の成分を分解して再利用する仕組み)の機構の解明 ・2018年 本庶佑:負の免疫調節(免疫の働きにブレーキをかける仕組み)の阻害によるがん治療法の発見(PD-1)。免疫チェックポイント阻害薬であるニボルマブの開発につながった。アリソン(James Allison)と共同受賞 ・2025年 坂口志文:末梢性免疫寛容に関する発見(制御性T細胞)。ブランコウ(Mary Brunkow)、ラムズデル(Fred Ramsdell)と共同受賞

受賞に至らなかった日本の医学者

北里柴三郎、野口英世のほか、山極勝三郎も受賞しなかった研究者として知られる。山極はウサギの耳にコールタールを繰り返し塗り、世界で初めて人工的にがんを発生させた。

北里柴三郎と血清療法

破傷風菌の純粋培養に成功し、それをもとに抗毒素血清による受動免疫療法(外から抗体を与えて病気を防ぐ・治す方法)を確立した。この考え方は、現在の破傷風ヒト免疫グロブリンやジフテリア抗毒素の治療につながっている。

POINT

・ノーベル生理学・医学賞の受賞者は利根川進(1987年、日本人初)。業績は免疫グロブリン遺伝子の再構成(V(D)J組換え)による抗体の多様性の解明である ・小柴昌俊は2002年の物理学賞(ニュートリノ)、田中耕一は2002年の化学賞(生体高分子の質量分析法)。部門を取り違えないこと ・北里柴三郎(破傷風菌の純粋培養、血清療法、ペスト菌の発見)と野口英世(進行麻痺の患者の脳から梅毒トレポネーマを検出)は受賞していない ・その後の生理学・医学賞受賞者として、山中伸弥(iPS細胞)、大村智(イベルメクチン)、大隅良典(オートファジー)、本庶佑(PD-1)、坂口志文(制御性T細胞)も押さえておく

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。