StudyMed医師国家試験

名前は言えないのに切符は買える―全生活史健忘が教える「記憶の地図」

第115回医師国家試験 D問題 第15問

国試問題にチャレンジ

第115回 D問題 第15問

全生活史健忘患者が保持している記憶はどれか。2つ選べ。

  1. a.自分の名前
  2. b.自分の年齢
  3. c.家族との旅行
  4. d.切符の買い方
  5. e.日本で一番高い山の名前

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は全生活史健忘で保たれる記憶を問う問題だ。丸暗記より、「記憶にはどんな種類があるか」を整理して考えるのがコツ。まず全生活史健忘とはどんな状態か、イメージはあるかな。
医学生医学生
ドラマでよく見る「ここはどこ、私は誰」という状態でしょうか。
ドクタードクター
まさにそれ。自分の名前、年齢、家族、職業といったアイデンティティと、これまでの生活の歴史をまるごと思い出せなくなる。強い心理的ストレスや心的外傷を契機に起こることが多く、解離性健忘のうち記憶の欠落が全般に及ぶ全般性健忘にあたる。脳そのものが壊れているわけではないから、記憶は回復することが多いんだ。
医学生医学生
全部忘れてしまうなら、何も保たれていないようにも思えますが…。
ドクタードクター
そこが誤解しやすいところ。生理学の講義で習った記憶の分類を思い出してみよう。言葉で表せる陳述記憶と、言葉にしにくい非陳述記憶があったね。
医学生医学生
陳述記憶はエピソード記憶と意味記憶、非陳述記憶の代表が手続き記憶でした。CBTの勉強で、海馬と小脳・大脳基底核の対比として覚えました。
ドクタードクター
完璧だ。エピソード記憶は「いつ・どこで・何をしたか」という個人の体験、意味記憶は一般的な知識、手続き記憶は体で覚えた技能や手順の記憶。全生活史健忘で失われるのは、このうち自分自身に関わるエピソード記憶、いわゆる自伝的記憶とアイデンティティなんだ。
医学生医学生
ということは、一般知識や技能は残るんですね。
ドクタードクター
その通り。だから患者さんは、自分が誰かわからなくても会話ができるし、電車に乗って買い物もできる。では選択肢を見ていこう。自分の名前と自分の年齢はどうかな。
医学生医学生
どちらも自分についての情報なので、失われる側ですね。
ドクタードクター
そう。名前はアイデンティティの中心で、年齢も自分自身の個人情報だ。全生活史健忘ではどちらも答えられない。では家族との旅行は?
医学生医学生
いつ、どこで、誰と何をしたかという思い出なので、典型的なエピソード記憶です。これも失われます。
ドクタードクター
正解。生活史全体の記憶が失われるから、こうした個人的な思い出は想起できないし、家族の顔さえ思い出せないことが多い。残る二つ、切符の買い方と日本で一番高い山の名前はどうだろう。
医学生医学生
切符の買い方は手順の記憶だから手続き記憶、富士山は一般常識だから意味記憶ですね。どちらも保たれる、が答えだと思います。
ドクタードクター
その通り。手続き記憶も意味記憶も、それを身につけたときの個人の体験とは切り離されて蓄えられている。だから自分が誰かわからなくても、券売機で切符を買えるし、「日本一高い山は?」と聞かれれば富士山と答えられる。実際、遠く離れた土地で身元不明のまま保護される例もあるんだ。
医学生医学生
精神科の臨床実習で、警察に保護されて来院した方の話を聞いたことがあります。身元はわからないのに、受け答えはしっかりしていたそうです。
ドクタードクター
まさに典型像だね。ここで臨床で大事な視点を一つ。認知症などの器質的な健忘では、自分の名前は最後まで保たれやすい。だから「自分の名前が言えないのに、一般常識や日常動作は保たれている」という食い違いは、心因性、つまり解離性の健忘を疑う手がかりになる。
医学生医学生
一過性全健忘も記憶が抜け落ちる病気ですよね。どう区別すればいいですか。
ドクタードクター
いい質問だ。一過性全健忘は中高年に多く、突然の強い前向性健忘で始まり、同じ質問を何度も繰り返すのが特徴だ。自分の名前などのアイデンティティは保たれ、通常24時間以内に回復する。しばらくしてから撮ったMRI拡散強調像で海馬に小さな高信号がみられることもある。アイデンティティが失われていれば、まず解離性を考える、と整理しておこう。
医学生医学生
失われる記憶の「種類」を見れば、器質性か心因性かのヒントになるんですね。
ドクタードクター
その通り。最後に補足すると、解離性健忘には特定の期間だけ忘れる限局性健忘もあり、実はこちらのほうが多い。目的のある旅や放浪を伴う場合は解離性遁走と呼ばれる。治療は安全で支持的な環境を整えたうえでの精神療法が中心で、焦って記憶を引き出そうとしないことが大切だ。

まとめ

全生活史健忘は解離性健忘の全般性健忘にあたり、強いストレスや心的外傷を契機に、名前・年齢などのアイデンティティと生活史に関するエピソード記憶(自伝的記憶)が失われる状態です。一方で、富士山が日本一高い山であるといった一般知識(意味記憶)や、切符の買い方のような技能・手順(手続き記憶)は保たれるため、自分が誰かわからなくても日常生活の行動はこなせます。器質的な健忘では自分の名前は保たれやすく、アイデンティティが保たれ同じ質問を繰り返す一過性全健忘との鑑別も重要です。記憶の分類と失われ方のパターンを結びつけて理解することは、健忘患者の診察で器質性と心因性を見分ける土台になります。

解答・解説

正解はd, eです

全生活史健忘とは、自分の名前、年齢、出身、家族、職業などの自分が何者であるか(アイデンティティ)に関する記憶と、これまでの生活の歴史に関する記憶をまるごと失う状態である。強い心理的ストレスや心的外傷を契機に起こることが多い。解離性健忘のうち、記憶の欠落が全般に及ぶ型(全般性健忘)にあたる。脳の器質的な損傷によるものではなく、失われた記憶は回復することが多い。 この問題は、記憶の種類を分類して考えると解きやすい。 ・陳述記憶(言葉で表せる記憶)  エピソード記憶:いつ・どこで・何をしたかという個人の体験の記憶。自分の名前や年齢などを含む自伝的記憶はここに属する。  意味記憶:一般的な知識や言葉の意味、事実の記憶。 ・非陳述記憶(言葉にしにくい記憶)  手続き記憶:自転車の乗り方や道具の使い方など、体で覚えた技能や手順の記憶。 全生活史健忘で失われるのは、自分自身に関わるエピソード記憶(自伝的記憶)とアイデンティティである。一方、一般的な知識(意味記憶)や生活に必要な技能(手続き記憶)は保たれる。そのため患者は、自分が誰かは分からなくても、会話をし、電車に乗り、買い物をするといった日常の行動は普通にこなせる。身元が分からないまま、警察などに保護されて受診に至ることもある。 したがって、各選択肢について「自分自身の情報・体験か」「一般知識か」「手続き・技能か」を判断すればよい。

選択肢考察

  1. ×a.  自分の名前

    保持されていない。自分の名前は、自分が何者であるかを示す最も基本的な個人情報であり、アイデンティティの中心となる。全生活史健忘では、この自己の同一性に関わる記憶が失われるのが特徴で、患者は自分の名前を答えられない。なお、器質的な脳疾患による健忘(認知症や一過性全健忘など)では、自分の名前は最後まで保たれやすい。そのため、自分の名前が言えないのに一般常識や日常の動作は保たれているという食い違いは、心因性(解離性)の健忘を疑う手がかりになる。

  2. ×b.  自分の年齢

    保持されていない。自分の年齢や生年月日も、自分自身に関する個人情報であり、アイデンティティに関わる記憶である。全生活史健忘では名前と同じように失われ、患者は自分が何歳なのかを答えられない。

  3. ×c.  家族との旅行

    保持されていない。家族との旅行は、いつ・どこで・誰と何をしたかという自分が実際に経験した出来事の記憶であり、エピソード記憶(自伝的記憶)の典型である。全生活史健忘では、生まれてから発症するまでの生活史全体に関する記憶が失われるため、このような個人的な思い出は想起できない。家族の顔や存在そのものも思い出せないことが多い。

  4. ○d.  切符の買い方

    保持されている。切符の買い方は、券売機の使い方や手順といった、日常生活を送るための技能・手続きに関する記憶であり、手続き記憶(およびそれに関わる一般的な知識)にあたる。手続き記憶は、いつどこで身につけたかという個人の体験とは切り離されて蓄えられている。全生活史健忘では保たれるため、患者は自分が誰かは分からなくても、切符を買って電車に乗ることができる。実際、遠く離れた土地で身元不明のまま保護される例もある。

  5. ○e.  日本で一番高い山の名前

    保持されている。日本で一番高い山が富士山であることは、一般常識としての知識であり、意味記憶にあたる。意味記憶は、その知識を得たときの個人の体験とは関係なく蓄えられている。全生活史健忘では自分自身に関わる記憶だけが選択的に失われ、一般的な知識は保たれるため、このような質問には正しく答えられる。

記憶の分類(内容による)

・陳述記憶(顕在記憶):言葉やイメージとして意識して思い出せる記憶。海馬を含む内側側頭葉と間脳が関わる。  エピソード記憶:個人が体験した出来事の記憶(例:昨日の夕食、家族旅行)。  意味記憶:一般的な知識や事実、言葉の意味の記憶(例:富士山が日本一高い山であること)。 ・非陳述記憶(潜在記憶):意識せずに発揮される記憶。  手続き記憶:技能や習慣の記憶(例:自転車の乗り方、楽器の演奏)。主に大脳基底核と小脳が関わる。  プライミング、古典的条件づけなど。

記憶の分類(保持時間による)

・即時記憶(数十秒程度)、近時記憶(数分から数日)、遠隔記憶(それ以上)。

健忘の時間的な分類

・前向性健忘:発症(受傷)した後の新しい出来事を覚えられない。 ・逆向性健忘:発症(受傷)する前の出来事を思い出せない。

解離性健忘

・DSM-5では解離症群(解離性障害)に含まれる。心的外傷やストレスとなる出来事を契機に、重要な自伝的情報を思い出せなくなる。通常の物忘れでは説明できない程度のものをいう。 ・病型には次のものがある。  限局性健忘:特定の期間(例:外傷的な出来事の前後)の記憶を失う。最も多い。  選択的健忘:ある期間の出来事のうち、一部だけを失う。  全般性健忘:自分の生活史全体とアイデンティティを失う。本問の全生活史健忘に相当する。 ・目的をもった旅や、当てもなくさまよう行動を伴う場合は、解離性遁走とよばれる(DSM-5では解離性健忘の特定用語)。 ・治療は、安全で支持的な環境を整えたうえでの精神療法が中心である。失われた記憶は、自然に、または治療の経過の中で回復することが多い。

一過性全健忘(transient global amnesia:TGA)との鑑別

・TGAは中高年に多い。突然の強い前向性健忘で始まり、発症前の一定期間の逆向性健忘を伴う。 ・同じ質問を何度も繰り返すのが特徴である。 ・自分の名前などのアイデンティティは保たれ、意識障害や局所神経症状は伴わない。 ・通常は24時間以内に回復する。発症からしばらくして撮影したMRIの拡散強調像で、海馬に小さな高信号病変がみられることがある。 ・自分の名前が言えないなどアイデンティティが失われている場合は、TGAではなく解離性(心因性)の健忘を考える。

POINT

・全生活史健忘(解離性健忘の全般性健忘)では、名前・年齢などのアイデンティティと、生活史に関するエピソード記憶(自伝的記憶)が失われる。 ・一般的な知識(意味記憶)と、技能・手順に関する記憶(手続き記憶)は保たれる。 ・器質的な健忘では自分の名前は保たれやすい。自分の名前が言えないのに日常生活の動作は可能という食い違いは、心因性の健忘を示唆する。 ・一過性全健忘(TGA)はアイデンティティが保たれ、同じ質問の繰り返しが特徴で、24時間以内に回復する。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。