StudyMed医師国家試験

「気付いてよかった」で終わらせない―ヒヤリ・ハットを医療安全につなぐインシデント報告

第110回医師国家試験 F問題 第23問

国試問題にチャレンジ

第110回 F問題 第23問

52歳の女性。脳梗塞による意識障害でICUに入院中である。担当医が静脈路から薬剤を注入しようとしたが,その前に誤った薬剤が準備されていることに気付いた。すぐに正しい薬剤に取りかえて予定された処置を行った。  事後の対応として適切なのはどれか。

  1. a.特に何もしない。
  2. b.保健所に報告する。
  3. c.報道機関に公表する。
  4. d.家族を呼んで謝罪する。
  5. e.インシデントとして報告する。

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は医療安全の問題だ。誤った薬剤が準備されていたけれど、投与の直前に気付いて正しい薬剤に替えた。患者さんに実害はなかったこの出来事を、どう位置づけて、どう対応するかを考えよう。
医学生医学生
結果的に何も起きていないので、正直「セーフでよかった」で済ませてしまいそうです。
ドクタードクター
多くの人がそう感じるところだね。でもまず用語を整理しよう。医療安全では、患者さんに何らかの影響や傷害が生じたものをアクシデント、つまり医療事故と呼ぶ。一方、誤りが患者さんに実施される前に見つかったもの、あるいは実施されたが影響がなかったものをインシデントと呼ぶんだ。
医学生医学生
ヒヤリ・ハットのことですね。1年生の医療安全の講義で聞いた覚えがあります。
ドクタードクター
そう、「ヒヤリとした」「ハッとした」事例だ。今回は投与前に発見しているから、典型的なインシデントにあたる。では、害がなかったなら何もしなくていいと思う?
医学生医学生
今回は担当の先生が気付けましたけど、次に準備する人が気付かなかったら、そのまま投与されてしまうかもしれません。
ドクタードクター
その通り。誤った薬剤が準備されたという事実は、どこかにシステムの弱点があることを示している。名前や外観が似た薬剤、指示の伝え方の不備、確認手順の抜けなど、原因を組織として分析して再発防止策を立てるために、院内の仕組みでインシデントとして報告するのが正しい対応なんだ。
医学生医学生
報告すると、担当者が責められそうで少し怖いです。
ドクタードクター
大切なポイントだね。インシデント報告の目的は個人の責任追及ではなく、システムの改善だ。人は必ず間違えるという「To Err is Human」の考え方に立って、報告者が不利益を受けない非懲罰的な仕組みにしているからこそ、たくさんの事例が集まるんだよ。
医学生医学生
保健所に報告する、というのはどうでしょう。公衆衛生の講義で保健所が医療機関に立入検査をすると習いました。
ドクタードクター
保健所は感染症の届出や立入検査などを担う行政機関で、実害のない院内インシデントを一件ずつ報告する先ではない。インシデントの集積と分析は、各病院の医療安全管理委員会や医療安全管理部門の中で行う。ちなみに予期せぬ死亡などの医療事故には、2015年に始まった医療事故調査制度に基づいて医療事故調査・支援センターに報告する仕組みがあるけれど、今回はそれにも当たらないね。
医学生医学生
報道機関への公表は、さすがに大げさな気がします。
ドクタードクター
そうだね。外部への公表は、主に患者さんに重大な影響が出た医療事故について、病院の方針や患者さん・ご家族の意向を踏まえて組織として判断するものだ。担当医個人が実害のないインシデントを公表する理由はないし、個人情報保護の面からも不適切だよ。
医学生医学生
家族を呼んで謝罪する、というのは誠実な対応にも思えますが……。
ドクタードクター
誠実さは大事だよ。実際、患者さんに傷害が生じた医療事故なら、速やかに事実を説明し、必要に応じて謝罪することが求められる。ただ今回は投与前に止まっていて影響がないから、わざわざ呼び出して謝罪することは事後対応として求められていない。まずやるべきは組織への報告と再発防止の検討だ。
医学生医学生
害が出たかどうかで、アクシデントかインシデントかが分かれて、対応も変わるということですね。
ドクタードクター
その理解で合っている。ついでに医療過誤という言葉も押さえておこう。医療事故のうち、医療従事者の過失によって起きたものを医療過誤という。医療事故は過失の有無を問わないから、医療事故イコール医療過誤ではないんだ。
医学生医学生
ハインリッヒの法則も、ヒヤリ・ハットを集める意味の説明に使われていましたよね。
ドクタードクター
よく覚えているね。1件の重大事故の背後に29件の軽微な事故、300件のヒヤリ・ハットがあるという経験則だ。裾野のインシデントを拾って対策すれば、頂点の重大事故を減らせるという考え方の根拠になっている。
医学生医学生
具体的な誤薬防止策としては、どんなものがありますか。
ドクタードクター
正しい患者・薬剤・目的・用量・用法・時間を確認する6R、ダブルチェック、指差し呼称、類似薬剤の配置を分ける工夫、バーコード照合システムなどがある。なお医療法では、病院に医療安全管理指針の整備や医療安全管理委員会の設置、職員研修などが義務付けられているよ。
医学生医学生
臨床実習でも、ヒヤリとしたことがあれば学生でも報告するように言われました。研修医になったら自分から積極的に報告するようにします。
ドクタードクター
それが一番大事な姿勢だ。報告は恥ずかしいことではなく、次の患者さんを守るための行動だと考えてほしい。

まとめ

誤った医療行為が患者に実施される前に発見された事例、あるいは実施されても患者に影響がなかった事例はインシデント(ヒヤリ・ハット)であり、院内のインシデント報告システムで報告するのが適切な事後対応です。報告の目的は個人の責任追及ではなく、事例を集積・分析して原因となるシステムの弱点を見つけ、再発を防ぐことにあります。実害のないインシデントでは、保健所への報告や報道機関への公表、家族を呼んでの謝罪は求められず、これらは主に患者に影響が生じた医療事故で組織として判断する事柄です。ハインリッヒの法則が示すように、多数のヒヤリ・ハットを拾い上げることが重大事故の予防につながるため、インシデントを報告する姿勢は医療者として欠かせない基本です。

解答・解説

正解はeです

状況の整理

脳梗塞で意識障害があり、ICUに入院している患者に対し、担当医が静脈路から薬剤を注入しようとした。その直前に、準備された薬剤が誤っていることに気付き、正しい薬剤に交換して予定どおりの処置を行った。つまり、誤薬という重大なエラーが発生したものの、患者に投与される前に発見されたため、患者には実害が生じていない。

この出来事の位置づけ

医療安全の分野では、医療の過程で起きた好ましくない出来事を次のように区別する。 ・アクシデント(医療事故):医療に関連して患者に何らかの影響・傷害が生じたもの。 ・インシデント(ヒヤリ・ハット):誤った医療行為が患者に実施される前に発見されたもの、または実施されたが結果として患者に影響がなかったもの。「ヒヤリとした」「ハッとした」事例という意味である。 本例は誤った薬剤が患者に投与される前に気付いているので、インシデントに該当する。

考え方

患者に害がなかったからといって放置してよいわけではない。今回は担当医が偶然気付いたが、同じ仕組みのままでは、次は別の職員が気付かずに投与してしまうかもしれない。誤った薬剤が「なぜ」準備されたのか(類似名称・類似外観の薬剤、指示伝達の不備、確認手順の欠如など)を組織として分析し、再発防止策を講じるために、所定の院内システムでインシデントとして報告することが適切な事後対応である。報告は個人の責任追及を目的とするものではなく、システムの改善を目的とする点が重要である。

選択肢考察

  1. ×a.  特に何もしない。

    患者に害が生じなかったとしても、誤薬が準備されたという事実は、医療安全上の弱点が存在することを示している。報告せずに済ませると、その原因が組織内で共有・分析されず、同じエラーが繰り返されて、いずれ患者に実害が及ぶ医療事故につながるおそれがある。何もしないという対応は不適切である。

  2. ×b.  保健所に報告する。

    保健所は感染症の届出や医療機関への立入検査などを担う行政機関であり、患者に実害のなかった院内のインシデントを個別に報告する先ではない。インシデントの報告・分析は、各医療機関の医療安全管理体制(医療安全管理委員会や医療安全管理部門)の中で行われる。なお、予期せぬ死亡などの医療事故については、2015年から始まった医療事故調査制度に基づき医療事故調査・支援センターへ報告する仕組みがあるが、本例はこれにも当たらない。

  3. ×c.  報道機関に公表する。

    医療機関が事故を外部へ公表するかどうかは、主に患者に重大な影響が生じた医療事故について、病院の方針や患者・家族の意向を踏まえて組織として判断するものである。担当医個人が、実害のないインシデントを報道機関に公表する理由はない。患者の個人情報保護の観点からも不適切である。

  4. ×d.  家族を呼んで謝罪する。

    患者に傷害が生じた医療事故では、患者・家族へ速やかに事実を説明し、必要に応じて謝罪することが求められる。しかし本例は投与前にエラーを発見しており、患者に影響は生じていないため、家族をわざわざ呼び出して謝罪することは事後対応として求められていない。まず行うべきは、組織としての報告と再発防止の検討である。

  5. ○e.  インシデントとして報告する。

    誤った薬剤が準備されたが患者への投与前に発見されたため実害がなかった事例であり、典型的なインシデント(ヒヤリ・ハット)である。院内のインシデント報告システムを通じて報告すれば、医療安全管理部門が事例を集積・分析し、薬剤の準備・照合手順の見直しなどの再発防止策につなげることができる。報告は個人の処罰が目的ではなく、システムの欠陥を見つけて将来の重大事故を防ぐためのものであり、最も適切な対応である。

インシデントとアクシデント

・インシデント(ヒヤリ・ハット):誤りが患者に実施される前に発見された事例、または実施されたが患者に影響がなかった事例。 ・アクシデント(医療事故):医療の過程で患者に何らかの影響・傷害が生じた事例。医療従事者の過失の有無を問わない。 ・医療過誤:医療事故のうち、医療従事者の過失によって生じたもの。

ハインリッヒの法則

1件の重大事故の背後には、29件の軽微な事故と、300件の無傷の「ヒヤリ・ハット」があるという経験則である。重大事故を減らすには、裾野にあたる多数のインシデントを集めて原因を分析し、対策を講じることが有効であるという考え方の根拠となる。

インシデント報告制度の考え方

人は必ず誤りを犯すという前提(To Err is Human)に立ち、個人を責めるのではなく、エラーが起こりにくい・起きても患者に届く前に止められるシステムを作ることを目指す。そのために、報告者が不利益を受けない非懲罰的な仕組みと、報告事例の分析(根本原因分析:RCA など)が重要である。医療法により、病院などには医療安全管理指針の整備、医療安全管理委員会の設置、職員研修、事故報告等による改善方策の実施が義務付けられている。

誤薬防止の具体策の例

患者・薬剤・用量・投与経路・投与時間を確認する「6R」(正しい患者、薬剤、目的、用量、用法、時間)、ダブルチェック、指差し呼称、名称や外観が類似した薬剤の配置分離、バーコード照合システムの導入などがある。

POINT

・誤りが患者に実施される前に発見された、または実施されても影響がなかった事例はインシデント(ヒヤリ・ハット)であり、院内で報告する。 ・インシデント報告の目的は個人の責任追及ではなく、事例の集積・分析による再発防止である。 ・実害のないインシデントで、保健所への報告、報道機関への公表、家族への謝罪は求められない。 ・ハインリッヒの法則(1:29:300)は、ヒヤリ・ハットを集める意義を示す。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。