バンドには行けるのに大学には行けない―「自分は何者か」に迷う青年期のこころ
第107回医師国家試験 E問題 第45問
国試問題にチャレンジ
20歳の男性。大学を休んでいることを心配した母親に伴われて来院した。大学3年生の6月から半年間休んでいる。昼夜逆転の生活を送っているが,趣味のバンドの練習には週に3日参加している。礼節は保たれ,服装も整っている。「大学には行っていないけど,これといって嫌なことがあるわけじゃない。バンドは楽しいけど,逃げているだけのようにも思う。将来のことを考えると,自分がどうしたらいいのか分からない」と語った。思考はまとまっており,抑制はみられず,静穏である。身体診察では異常所見を認めない。 最も考えられるのはどれか。
- a.うつ病
- b.統合失調症
- c.社交不安障害
- d.全般性不安障害
- e.自我同一性形成の障害
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
大学生の長期休学や昼夜逆転をみたときは、まずうつ病、統合失調症、不安症群などの治療を要する精神疾患が背景にないかを確認します。本例では趣味のバンド活動を楽しめており興味・喜びが保たれ、精神運動抑制、陽性症状、思考の解体、陰性症状、対人場面への恐怖、過剰な全般的心配のいずれもみられません。一方で「将来どうしたらいいのか分からない」という迷いが訴えの中心であり、エリクソンのいう青年期の発達課題である自我同一性の確立につまずいた状態、すなわち自我同一性形成の障害(同一性拡散)と考えるのが最も妥当です。学業だけから選択的に退却し趣味などは続けられる大学生の像はスチューデント・アパシーと呼ばれ、モラトリアムの遷延として理解されます。ただしこれは他の精神疾患を除外したうえで判断するものであり、統合失調症の前駆期などを見逃さないよう経過を丁寧に追う姿勢が、青年期の患者を診るうえで重要です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・20歳の男性、大学3年生の6月から半年間休学状態が続いている。母親が心配して連れてきたもので、本人の自発的な受診ではない。 ・生活は昼夜逆転しているが、趣味のバンド練習には週3日きちんと参加している。つまり、好きな活動には意欲も楽しみも保たれ、他者との交流も維持されている。 ・礼節が保たれ、身だしなみも整っている。思考のまとまりは良く、精神運動抑制(考えや動作が遅くなること)もなく、落ち着いている。 ・本人は「嫌なことがあるわけではない」「バンドは楽しいが逃げているだけのようにも思う」「将来どうしたらいいのか分からない」と語る。 ・身体診察で異常はない。
診断へのプロセス
大学生の長期の休学・不登校をみたときには、まず治療を要する精神疾患が背景にないかを確認する必要がある。 (1) うつ病:抑うつ気分や興味・喜びの喪失、精神運動抑制が中核だが、本例は趣味を楽しめており抑制もない。 (2) 統合失調症:初期には理由のはっきりしない欠席や引きこもりで始まることがあり、見逃してはならない鑑別である。しかし本例では幻覚・妄想・思考の解体(まとまりのなさ)・奇異な行動・感情の平板化といった所見がなく、礼節や身だしなみ、対人交流も保たれている。 (3) 不安症群:人前での強い不安や漠然とした持続的な心配、それによる回避がみられない。 以上のように、特定の精神疾患を積極的に示唆する所見はない。一方で本人の訴えの中心は「将来の自分がどうあるべきか分からない」という、自分は何者でどう生きるのかという問いに関する迷いである。これは青年期の発達課題である自我同一性(アイデンティティ)の確立につまずいている状態、すなわち自我同一性形成の障害として理解するのが最も妥当である。
設問の考え方
「最も考えられるのはどれか」なので、各疾患の典型像と照らし合わせ、否定できるものを除いていく。自我同一性形成の障害は、他の精神疾患を除外したうえで考える性質のものであり、本例では他の選択肢を支持する所見がないことから相対的に最も適切な答えとなる。
選択肢考察
- ×a. うつ病
うつ病の診断には、抑うつ気分か、興味または喜びの著しい減退のいずれかがほぼ毎日2週間以上続くことが必要である。本例はバンド活動を楽しんで週3日参加しており、興味・喜びは保たれている。思考抑制や精神運動制止もなく、静穏で落ち着いている。昼夜逆転はあるが、それだけではうつ病とはいえない。
- ×b. 統合失調症
統合失調症は青年期に好発し、初期には原因のはっきりしない欠席や社会的引きこもりで始まることがあるため、鑑別として重要である。しかし本例には、幻覚や妄想といった陽性症状、思考の解体、奇異な行動がみられない。感情の平板化や意欲低下などの陰性症状を示唆する所見もなく、礼節・身だしなみ・対人交流(バンド活動)が保たれている。現時点で統合失調症を考える根拠はない。
- ×c. 社交不安障害
社交不安障害(社交不安症)は、人前で注目を浴びたり他者から評価されたりする場面に強い恐怖や不安を感じ、その場面を避けてしまう疾患である。本例はバンド活動という他者と一緒に行い、人前での演奏も伴いうる活動に積極的に参加している。本人も対人場面への恐怖を訴えておらず、大学に行かない理由も「嫌なことがあるわけではない」と述べているため、該当しない。
- ×d. 全般性不安障害
全般性不安障害(全般不安症)は、多くの出来事や活動について過剰でコントロールしにくい心配が6か月以上、起こる日のほうが多い状態で続く疾患である。落ち着きのなさ、疲れやすさ、集中困難、易刺激性、筋緊張、睡眠障害などを伴う。本例は静穏で、将来への迷いはあるものの、日常のさまざまな事柄に対する過剰な心配や身体の緊張症状は示されておらず、該当しない。
- ○e. 自我同一性形成の障害
エリクソン(Erikson)は、青年期の心理社会的な発達課題を自我同一性の確立とし、その失敗を同一性拡散(同一性の混乱)とよんだ。本例は、将来の自分がどうすべきか分からず、バンド活動についても「逃げているだけ」と感じている。大学生活からも距離を置き、社会的役割の選択を先送りしている。一方で明らかな精神疾患の所見はない。これは自我同一性の確立に困難を抱え、モラトリアム(社会的責任を猶予された期間)が長引いている状態と考えられ、最も合致する。
エリクソンのライフサイクル論と青年期
エリクソンは人生を8段階に分け、各段階に心理社会的な発達課題(危機)を設定した。青年期(おおむね12〜20歳代前半)の課題は「同一性 対 同一性拡散」である。自分は何者で、社会の中でどのような役割を担い、どう生きるのかという感覚をまとまりとして獲得することが自我同一性の確立にあたる。
モラトリアム
本来は支払い猶予を意味する経済用語である。エリクソンはこれを、青年が社会的な義務や責任を一時的に猶予され、さまざまな役割を試しながら自分を探す期間を指す言葉として用いた。この期間は健全な発達に必要なものだが、長引いて決断を避け続けると、社会参加の遅れにつながることがある(いわゆるモラトリアム人間)。
同一性拡散でみられやすい特徴
・将来の選択や決断を先送りする ・自分が何をしたいのか、何者なのか分からないという感覚 ・時間的展望の喪失(生活リズムの乱れ、昼夜逆転など) ・勉学や仕事への集中困難、無気力 ・親密な対人関係を築くことへの不安
スチューデント・アパシー(退却神経症)
大学生にみられる、本業である学業だけから選択的に退却し、アルバイトや趣味などの周辺的な活動は続けられる状態をいう。本人は深刻な苦痛を訴えにくく、周囲に促されて受診することが多い。抑うつや不安が前面に出ない点でうつ病と区別され、同一性の問題が背景にあると考えられている。本例の、大学には行かないがバンド活動には参加しているという像はこれによく当てはまる。
大学生の休学・不登校をみたときの注意
小・中学校では、病気や経済的理由によらない年間30日以上の欠席を不登校と定義するが、大学生については同様の定義は確立していない。統合失調症の前駆期や初期、うつ病、発達障害などが背景にあることもあるため、精神症状を丁寧に評価し、除外したうえで同一性の問題と判断する。近年議論されるいわゆる「新型(現代型)うつ病」は、趣味には意欲的だが仕事や学業だけに抑うつ的になる状態を指すマスコミ由来の概念であり、正式な診断名ではない。
POINT
・青年期の発達課題は自我同一性の確立(エリクソン)であり、その失敗が同一性拡散である。 ・「将来どうしたらいいか分からない」という訴えに加え、趣味や対人交流は保たれ、精神病症状や抑うつ・不安症状がない場合は、自我同一性形成の障害を考える。 ・学業だけから退却し、趣味などは続けられる大学生の像はスチューデント・アパシーとよばれる。 ・興味や喜びが保たれていればうつ病は否定的である。陽性症状、思考の解体、陰性症状がなければ統合失調症は考えにくい。 ・自我同一性形成の障害は、他の精神疾患を除外したうえで判断する。
