膿瘍に麻酔が効かないのはなぜ?―pHで読み解く局所麻酔の基本
第106回医師国家試験 E問題 第25問
国試問題にチャレンジ
皮膚の小切開時の局所麻酔について誤っているのはどれか。
- a.浸潤麻酔である。
- b.リドカインには極量が定められている。
- c.感染部位では麻酔薬の効果が増強する。
- d.血液の逆流が見られたら麻酔薬の注入を中止する。
- e.アドレナリンの添加によって麻酔薬の作用時間が延長する。
対話形式の解説
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ドクターまとめ
皮膚の小切開では、切開部位の皮内・皮下に局所麻酔薬を注射する浸潤麻酔を用います。局所麻酔薬は弱塩基で、非イオン型が神経膜を通過し、細胞内でイオン型に戻ってNaチャネルを遮断するため、感染・炎症で酸性に傾いた組織では非イオン型が減り、麻酔効果は増強ではなく減弱します。リドカインには極量(単独約4.5mg/kg、アドレナリン添加で約7mg/kgが目安)があり、注入前の吸引で血液の逆流を認めたら注入を中止することが中毒予防の基本です。アドレナリン添加は血管収縮により吸収を遅らせ、作用時間の延長、中毒の予防、止血に役立ちますが、終動脈領域では従来使用を避けるとされてきました。作用機序から効き方と安全対策を説明できるようになることは、日常的に行う局所麻酔を安全に実施する土台になります。
解答・解説
正解はcです
皮膚の小切開(膿瘍の切開や小腫瘤の切除、裂創の縫合など)では、切開する部位の皮内・皮下に局所麻酔薬を直接注射して、その範囲の神経終末を麻痺させる。これを浸潤麻酔という。本問は、局所麻酔薬の作用機序、安全な使い方(極量、血管内注入の回避)、血管収縮薬の併用という基本事項を問うている。 局所麻酔薬の作用を理解する鍵は、薬の「形」と組織のpHの関係である。局所麻酔薬(リドカインなど)は弱塩基で、体内では電荷をもたない非イオン型(塩基型)と、プラスの電荷をもつイオン型(陽イオン型)が平衡状態にある。神経細胞膜は脂質でできているため、膜を通り抜けて神経内部に入れるのは脂溶性の高い非イオン型である。神経内に入った後、再びイオン型に戻った分子が細胞内側から電位依存性Naチャネルをふさぎ、活動電位の発生・伝導を止める。 組織が酸性に傾くと、平衡がイオン型の側に偏り、神経膜を通過できる非イオン型が減るため、麻酔が効きにくくなる。感染・炎症部位では乳酸などの酸性代謝産物がたまり組織が酸性になるので、麻酔効果は「増強」ではなく「減弱」する。したがってcが誤りである。
選択肢考察
- ×a. 浸潤麻酔である。
正しい記述である。浸潤麻酔は、手術する部位の皮内・皮下組織に局所麻酔薬を注射し、薬液をその場に浸み込ませて周囲の神経終末を麻痺させる方法である。皮膚の小切開ではこれが標準的に用いられる。薬液が及んだ範囲だけが麻酔されるため、手術範囲が広くなるほど必要な薬液量も増え、極量を超えないよう注意が必要となる。なお、局所麻酔には他に表面麻酔(粘膜への塗布・噴霧)、伝達麻酔(神経ブロック。指の手術で指の付け根に注射するオベルスト法など)があり、脊髄くも膜下麻酔や硬膜外麻酔も広い意味では局所麻酔に含まれる。
- ×b. リドカインには極量が定められている。
正しい記述である。極量とは、それを超えると中毒を起こす危険が高くなるため、1回の使用で超えてはならないとされる量である。リドカインを含むすべての局所麻酔薬に上限量があり、体重あたりでは、リドカイン単独でおよそ4.5mg/kg(成人で最大200mg程度)、アドレナリン添加製剤ではおよそ7mg/kg(最大500mg程度)が目安とされる。濃度によって同じ容量でも含まれる薬の量が違うので、「濃度×容量」で総量を計算して確認する必要がある。極量を超えたり、血管内に誤って入ったりすると局所麻酔薬中毒を起こし、口周囲のしびれ・耳鳴り・多弁などの初期症状から、痙攣、意識障害、さらには不整脈や循環虚脱に進むことがある。
- ○c. 感染部位では麻酔薬の効果が増強する。
誤りの記述であり、これが正解となる。感染・炎症部位では、細菌の代謝や炎症細胞の働きにより乳酸などの酸性物質が蓄積し、組織のpHが低下している。局所麻酔薬は弱塩基であり(リドカインのpKaは約7.8)、pHが低い環境では陽イオン型の割合が増えて、神経膜を通過できる非イオン型が減る。その結果、薬が神経内部に届きにくくなり、麻酔効果は減弱する。加えて炎症部位は血流が増えているため、薬が血中へ早く運び去られることも効きにくさの一因となる。膿瘍の切開で麻酔が効きにくいのはこのためで、臨床では炎症部位の外側から周囲を囲むように注射する(周囲浸潤)、あるいは伝達麻酔を用いるなどの工夫をする。
- ×d. 血液の逆流が見られたら麻酔薬の注入を中止する。
正しい記述である。注射器の内筒を引いたときに血液が逆流してくるのは、針先が血管内に入っていることを意味する。そのまま注入すると局所麻酔薬が一気に血中へ入り、血中濃度が急上昇して、少ない量でも局所麻酔薬中毒(痙攣、意識障害、不整脈、心停止など)を起こしうる。そのため注入は直ちに中止し、針の位置を変える。安全のため、薬液を注入する前や針を進めるたびに内筒を軽く引いて逆流がないことを確認(吸引テスト)する習慣をつけることが大切である。
- ×e. アドレナリンの添加によって麻酔薬の作用時間が延長する。
正しい記述である。アドレナリン(エピネフリン)はα1受容体を介して注射部位の血管を収縮させる。その結果、局所麻酔薬が血中へ吸収されて運び去られる速度が遅くなり、薬が神経の周囲に長くとどまって作用時間が延長する。同時に、血中濃度の急上昇が抑えられるため中毒が起こりにくくなり(極量が引き上げられる)、術野の出血も減るという利点がある。一方で、指趾・陰茎・耳介のような終動脈で栄養される部位では血流障害による壊死が懸念され、従来は使用すべきでないとされてきた。また、アドレナリンは心拍数や血圧を上げ、血糖も上昇させるため、高血圧、重い心疾患、甲状腺機能亢進症、糖尿病などの患者では使用に注意を要する。
局所麻酔薬の作用機序
局所麻酔薬は、神経細胞膜の電位依存性Naチャネルを細胞内側から遮断し、活動電位の発生と伝導を抑える。非イオン型が膜を通過し、細胞内でイオン型に戻ってチャネルに結合するという2段階で作用する。
神経が遮断される順序
細い神経線維ほど、また髄鞘のない線維ほど遮断されやすい。一般に、自律神経(交感神経の節前線維など)→温痛覚→触覚・圧覚→運動神経の順に遮断され、回復はその逆の順に起こる。
局所麻酔薬の分類
エステル型:プロカイン、テトラカインなど。血中の偽コリンエステラーゼで分解され、分解産物のパラアミノ安息香酸(PABA)によりアレルギーを起こしやすい。 アミド型:リドカイン、メピバカイン、ブピバカイン、ロピバカインなど。主に肝臓で代謝され、アレルギーは比較的まれである。ブピバカインは心毒性が強いことで知られる。
局所麻酔薬中毒
血中濃度の上昇に伴い、中枢神経症状(口周囲や舌のしびれ、金属味、耳鳴り、めまい、多弁・興奮→痙攣→意識消失・呼吸停止)と循環器症状(高血圧・頻脈→徐脈・不整脈・低血圧→心停止)が現れる。対応は、投与の中止、気道確保と酸素投与、痙攣に対するベンゾジアゼピン系薬の投与、循環管理であり、重症例では脂肪乳剤の静注(lipid rescue)を行う。
浸潤麻酔を効かせるコツ
炎症部位では効きにくいため周囲から注射する。注射時の痛みを和らげるには、細い針を用い、ゆっくり注入する。
POINT
・局所麻酔薬は弱塩基。非イオン型が神経膜を通過し、細胞内からNaチャネルを遮断する。 ・感染・炎症部位は酸性で、非イオン型が減るため麻酔効果は減弱する。 ・すべての局所麻酔薬には極量がある(リドカイン:単独約4.5mg/kg、アドレナリン添加で約7mg/kg)。 ・注入前に吸引して血液の逆流がないか確認し、逆流があれば注入を中止する。 ・アドレナリン添加は血管収縮により吸収を遅らせ、作用時間延長・中毒予防・止血に役立つ。終動脈領域(指趾・陰茎・耳介など)では従来使用を避けるとされてきた。
