痛みは体だけのものじゃない―「全人的苦痛」4つの窓から患者を見る
第104回医師国家試験 H問題 第19問
国試問題にチャレンジ
全人的苦痛について適切なのはどれか。
- a.遺産相続に関する悩みを含む。
- b.家族間の問題への関与は避ける。
- c.不安から痛みを訴える患者には鎮痛薬は効果がない。
- d.身体的苦痛,心理的苦痛および霊的苦痛の3要素からなる。
- e.「どうしてこんな目にあうのか」という訴えには病態生理を説明する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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医学生
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ドクターまとめ
全人的苦痛(トータルペイン)はソンダースが提唱した概念で、身体的・精神的・社会的・霊的(スピリチュアル)の4つの苦痛が互いに影響し合って一つの苦痛として現れるという考え方です。遺産相続や仕事・経済・家族関係の悩みは社会的苦痛に含まれ、家族も緩和ケアの対象として多職種で支援します。不安で痛みが増強していても身体的な痛みが背景にあることが多いため、鎮痛薬で十分に除痛したうえで心理的支援を併用するのが基本です。「なぜ自分がこんな目に」という問いは霊的苦痛であり、病態の説明よりも傾聴と共感で向き合います。苦痛を多面的にとらえる視点は、緩和ケアに限らず、あらゆる臨床で患者を全人的に理解するための土台となります。
解答・解説
正解はaです
全人的苦痛(トータルペイン:total pain)は、近代ホスピス運動を始めた英国の医師シシリー・ソンダース(Cicely Saunders)が1960年代に提唱した概念である。がんなどの生命を脅かす疾患をもつ患者の苦痛は、身体の痛みだけでとらえることはできず、次の4つの側面が互いに影響し合いながら一つの「苦痛」として表れる、という考え方である。 ・身体的苦痛:痛み、呼吸困難、倦怠感、食欲不振、日常生活動作の障害など ・精神的(心理的)苦痛:不安、いらだち、恐れ、抑うつ、孤独感など ・社会的苦痛:仕事・経済的な問題、家庭内の問題、人間関係、遺産相続など ・霊的(スピリチュアル)苦痛:人生の意味への問い、罪の意識、死への恐怖、「なぜ自分がこんな目に」という問いなど この概念の要点は、各側面が独立しているのではなく相互に修飾し合うことである。例えば、不安や孤独感が痛みを強く感じさせ、逆に痛みが取れないことが不安を増す。したがって、医療者は鎮痛薬で身体的苦痛を十分に和らげることを前提としながら、心理的・社会的・霊的な面にも目を向け、多職種(医師、看護師、薬剤師、医療ソーシャルワーカー、心理職、宗教家など)で包括的に対応する必要がある。 選択肢を検討する際は、「4つの側面すべてが苦痛に含まれる」「どの側面も医療者が関わるべき対象である」という2点を基準にするとよい。
選択肢考察
- ○a. 遺産相続に関する悩みを含む。
遺産相続の悩みは、財産や家族関係にかかわる社会的苦痛にあたり、全人的苦痛の構成要素の一つである。死を意識した患者にとって、残される家族の生活や財産の整理は大きな気がかりとなり、それが不安を強めたり痛みの訴えを増やしたりすることもある。必要に応じて医療ソーシャルワーカーなどと連携して支援する。
- ×b. 家族間の問題への関与は避ける。
家族間の問題(介護の担い手、家族との不和、療養場所の意向の食い違いなど)は社会的苦痛であり、心理的苦痛にもつながる。全人的苦痛の考え方では、これらも医療者が把握して支援すべき対象である。緩和ケアでは家族もケアの対象に含まれ、多職種で家族関係の調整に関わることが求められる。関与を避けるのは不適切である。
- ×c. 不安から痛みを訴える患者には鎮痛薬は効果がない。
不安は痛みを感じやすくする要因(痛みの閾値を下げる要因)であり、痛みの訴えに心理的な修飾が加わっていても、その背景にがんなどによる身体的な痛みがあることが多い。したがって、まず鎮痛薬(オピオイドを含む)で身体的な痛みを十分に和らげることが基本で、鎮痛薬は有効である。そのうえで、不安に対しては傾聴や説明による心理的支援を行い、必要に応じて抗不安薬などを併用する。「心因性だから鎮痛薬は効かない」と決めつけて鎮痛を控えることは誤りである。
- ×d. 身体的苦痛,心理的苦痛および霊的苦痛の3要素からなる。
全人的苦痛は、身体的苦痛、精神的(心理的)苦痛、社会的苦痛、霊的(スピリチュアル)苦痛の4つの要素からなる。本選択肢は仕事・経済・家庭などにかかわる社会的苦痛が抜けているため誤りである。
- ×e. 「どうしてこんな目にあうのか」という訴えには病態生理を説明する。
「どうしてこんな目にあうのか」という訴えは、病気の仕組みを知りたいという質問ではなく、理不尽さへの怒りや悲しみ、自分の人生の意味を問う気持ちの表れであり、霊的(スピリチュアル)苦痛の典型である。死を受容していく過程における否認や怒りの感情が表れている場合もある。このような訴えに病態生理を説明しても苦痛は和らがず、突き放された印象を与えかねない。医療者は答えを与えようとするよりも、そばにいて気持ちを受け止め、傾聴し共感する姿勢で関わることが大切である。
全人的苦痛の4要素と具体例
・身体的苦痛:痛み、呼吸困難、倦怠感、悪心・嘔吐、便秘、不眠、ADL(日常生活動作)の低下 ・精神的苦痛:不安、いらだち、恐れ、うつ状態、孤独感 ・社会的苦痛:仕事上の問題、経済的問題、家庭内の問題、人間関係、遺産相続 ・霊的苦痛:人生の意味・価値への問い、苦しみの意味、罪の意識、死生観の揺らぎ、死への恐怖
緩和ケアの定義(WHO、2002年)
生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確に評価・対応することで、苦痛を予防し和らげ、生活の質(QOL)を改善するアプローチである。緩和ケアは終末期に限らず、診断時から治療と並行して行われるべきものとされる。
がん疼痛治療の基本
WHO方式がん疼痛治療法では、痛みの強さに応じて非オピオイド鎮痛薬、オピオイドなどを選択し、経口投与を基本として、時刻を決めて規則正しく、患者ごとに適切な量を調整して投与する。痛みの閾値は、不安・抑うつ・不眠・孤独感などで低下し、十分な睡眠・不安の軽減・理解と共感などで上昇するとされ、薬物療法と並んで心理社会的ケアが重要となる。
死にゆく患者の心理
キューブラー・ロス(Kübler-Ross)は、死を告げられた患者の心理過程を否認→怒り→取引→抑うつ→受容の5段階で示した。必ずしもこの順で進むわけではないが、患者の言動の背景を理解する手がかりとなる。
POINT
・全人的苦痛は身体的・精神的・社会的・霊的の4要素(ソンダースが提唱) ・遺産相続、仕事、経済、家族の問題は社会的苦痛 ・「なぜ自分が」「生きる意味は」は霊的苦痛 → 説明より傾聴・共感 ・不安で痛みが増強していても鎮痛薬は有効、心理的支援を併用する ・家族も緩和ケアの対象であり、多職種で関わる
