寝込んだ1年前と眠らない今―躁とうつの波を鎮める炭酸リチウム
第104回医師国家試験 D問題 第58問
国試問題にチャレンジ
38歳の女性。言動の変化を心配した夫に伴われて来院した。1年前に,特にきっかけもなく元気がなくなり2か月ほど寝込むことがあったが,特に治療も受けずに回復した。1か月前から口数が多くなり,易刺激的で怒りやすく,活動的となった。町へ出て大量に衣服を購入し,夜も眠らずインターネット販売に手を出して高額の買い物をするようになった。身体疾患の既往歴と精神作用物質の使用歴とはない。 治療薬として適切なのはどれか。
- a.ジアゼパム
- b.イミプラミン
- c.パロキセチン
- d.炭酸リチウム
- e.ドネペジル塩酸塩
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
抑うつエピソードの既往に続いて、多弁・易怒性・活動性亢進・浪費・睡眠欲求の減少が続く場合は、双極性障害の躁病エピソードを考えます。身体疾患や精神作用物質による二次性の躁状態を除外したうえで、治療は炭酸リチウムやバルプロ酸などの気分安定薬、第2世代抗精神病薬が中心となります。抗うつ薬は躁転や急速交代化を招くため、躁状態の双極性障害には用いません。炭酸リチウムは治療域が狭く、血中濃度モニタリング、振戦・腎性尿崩症・甲状腺機能低下症などの副作用、NSAIDsや利尿薬による濃度上昇、妊娠初期のEbstein奇形との関連に注意が必要です。うつ病と双極性障害を見分けて薬を選ぶ力は、精神科診療の安全性を左右する重要な基礎となります。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
38歳女性。夫が言動の変化を心配して受診させている(本人に病識が乏しいことをうかがわせる)。 1. 1年前のエピソード:明らかな誘因なく元気がなくなり、2か月ほど寝込んだ。治療なしで回復している。気分の落ち込みや意欲低下が一定期間続いた抑うつエピソードと考えられる。 2. 現在のエピソード(1か月前から): ・口数が多い(多弁) ・易刺激的で怒りやすい(易怒性。躁状態では爽快気分だけでなく、いらいらした不機嫌な気分が前面に出ることも多い) ・活動的になる(活動性の亢進) ・大量の衣服購入やインターネットでの高額な買い物(浪費。後に困った結果になりやすい快楽的活動への没頭) ・夜も眠らない(睡眠欲求の減少。眠らなくても疲れを感じない) これらは躁病エピソードの典型的症状である。 3. 除外すべき要因:身体疾患の既往(甲状腺機能亢進症など)や、精神作用物質(覚醒剤、ステロイドなど)の使用歴がない。症状が二次性の躁状態ではないことが示されている。
診断へのプロセス
抑うつエピソードの既往に続いて、社会生活に支障をきたす明らかな躁病エピソードが1か月にわたり続いている。躁病エピソードが一度でもあれば双極性障害と診断され、本例は抑うつエピソードと躁病エピソードの両方をもつ双極I型障害(躁うつ病)で、現在は躁病エピソードにあると考えられる。DSM-5では躁病エピソードは「ほぼ毎日、1日の大半において、少なくとも1週間持続する(入院が必要な場合は期間を問わない)」と規定されており、本例の1か月という持続期間はこれを満たす。
設問の考え方
躁状態の治療の中心は気分安定薬である。一方、抗うつ薬は躁状態を悪化させたり、躁とうつの交代を速めたりする(躁転、急速交代化)おそれがあるため、躁病エピソード中の双極性障害には使用しない。選択肢の中で気分安定薬(抗躁薬)は炭酸リチウムのみであり、これが適切である。
選択肢考察
- ×a. ジアゼパム
ジアゼパムはベンゾジアゼピン系の抗不安薬であり、GABA-A受容体に作用してGABAによる抑制作用を強め、抗不安・鎮静・催眠・筋弛緩・抗けいれん作用を示す。不安障害、不眠、アルコール離脱、けいれん重積などに用いられる。躁状態の興奮や不眠に対して補助的に鎮静目的で併用されることはあっても、気分の波そのものを安定させる作用はなく、躁病エピソードの治療薬の主体にはならない。
- ×b. イミプラミン
イミプラミンは三環系抗うつ薬で、セロトニンとノルアドレナリンの再取り込みを阻害して抗うつ効果を示す。抗コリン作用(口渇、便秘、尿閉)や心毒性などの副作用も多い。双極性障害の患者に抗うつ薬を投与すると躁転や急速交代化を誘発する危険があり、とくに三環系抗うつ薬はそのリスクが高いとされる。躁状態にある本例に投与すると症状をさらに悪化させるおそれがあり、不適切である。
- ×c. パロキセチン
パロキセチンは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)に分類される抗うつ薬で、うつ病のほか、パニック障害、社交不安障害、強迫性障害などに用いられる。三環系より頻度は低いものの、抗うつ薬である以上、双極性障害では躁転を誘発するおそれがある。現在躁病エピソードにある本例の治療薬としては不適切である。
- ○d. 炭酸リチウム
炭酸リチウムは代表的な気分安定薬(抗躁薬)であり、双極性障害の躁病エピソードの治療に有効で、再発予防の維持療法でも中心的な薬剤である。自殺予防効果が示されている点も特徴である。本例は双極性障害の躁病エピソードにあるため、炭酸リチウムが適切である。有効域と中毒域が近い(治療域が狭い)ため、血中濃度を定期的に測定しながら用量を調整する必要がある(血中濃度の目安はおおむね0.4〜1.2 mEq/L程度で、急性期は高め、維持期は低めに設定される)。副作用として手指振戦、口渇・多尿(腎性尿崩症)、甲状腺機能低下症、腎機能障害などがあり、過量では意識障害、粗大な振戦、運動失調、けいれんなどのリチウム中毒をきたす。NSAIDs、利尿薬(とくにサイアザイド系)、ACE阻害薬の併用や脱水は血中濃度を上昇させる。また妊娠初期の投与は胎児の心奇形(Ebstein奇形)との関連が指摘されており、慎重な判断を要する。
- ×e. ドネペジル塩酸塩
ドネペジル塩酸塩はアセチルコリンエステラーゼ阻害薬であり、脳内のアセチルコリン濃度を高めることで、Alzheimer型認知症およびLewy小体型認知症の認知機能障害の進行を緩やかにする目的で用いられる。本例は38歳で、認知機能低下を示す所見はなく、気分障害に対する効果もないため、適応はない。
双極性障害の分類
・双極I型障害:躁病エピソードが少なくとも1回ある。抑うつエピソードの有無は問わない(本例は抑うつエピソードも伴う)。 ・双極II型障害:軽躁病エピソード(4日以上持続し、社会的・職業的機能の著しい障害や入院を要さない程度)と抑うつエピソードの両方があり、躁病エピソードはない。 ・気分循環性障害:軽い躁症状と抑うつ症状が長期(成人で2年以上)にわたり繰り返すが、エピソードの基準は満たさない。
躁病エピソードの主な症状(DSM-5)
気分の高揚・開放的気分またはいらだたしさと、活動・活力の亢進が1週間以上持続し、以下のうち3つ以上(気分がいらだたしさのみの場合は4つ以上)を認める。 ・自尊心の肥大または誇大性 ・睡眠欲求の減少 ・多弁、しゃべり続けようとする心迫 ・観念奔逸(考えが次々に浮かび、話題が飛ぶ) ・注意散漫 ・目標指向性の活動の増加または精神運動焦燥 ・困った結果になる可能性が高い活動への熱中(浪費、無分別な投資、性的逸脱など)
双極性障害の薬物療法
・躁病エピソード:気分安定薬(炭酸リチウム、バルプロ酸)や第2世代抗精神病薬(オランザピン、アリピプラゾールなど)が中心。興奮が強い場合は抗精神病薬を併用する。カルバマゼピンも用いられる。 ・抑うつエピソード:クエチアピン、ルラシドン、オランザピン、炭酸リチウム、ラモトリギン(主に再発予防)などが用いられる。抗うつ薬の単剤投与は躁転・急速交代化のおそれがあり避ける。 ・維持療法:炭酸リチウムが基本であり、バルプロ酸、ラモトリギン、一部の第2世代抗精神病薬も用いられる。
その他の選択肢の薬剤の分類
・ベンゾジアゼピン系抗不安薬:ジアゼパム、ロラゼパム、アルプラゾラムなど。 ・三環系抗うつ薬:イミプラミン、アミトリプチリン、クロミプラミンなど。 ・SSRI:パロキセチン、セルトラリン、フルボキサミン、エスシタロプラム。 ・抗認知症薬:コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)とNMDA受容体拮抗薬(メマンチン)。
POINT
・抑うつエピソードの既往+多弁・易怒性・活動性亢進・浪費・睡眠欲求の減少が続く → 双極性障害(躁病エピソード)。 ・躁病エピソードの治療は炭酸リチウム、バルプロ酸などの気分安定薬や第2世代抗精神病薬。 ・双極性障害に抗うつ薬(三環系、SSRIなど)を単独で用いると躁転・急速交代化を招く。 ・炭酸リチウムは治療域が狭く、血中濃度モニタリングが必要。副作用(振戦、腎性尿崩症、甲状腺機能低下症)、中毒症状、血中濃度を上げる併用薬(NSAIDs、サイアザイド系利尿薬、ACE阻害薬)、催奇形性(Ebstein奇形)を押さえる。 ・身体疾患や物質使用による二次性の躁状態を除外することも診断上重要である。
