なぜHIVは「兵器」にならないのか―バイオテロ病原体を見抜く条件
第102回医師国家試験 E問題 第24問
国試問題にチャレンジ
バイオテロに用いられるおそれがないのはどれか。
- a.ヒト免疫不全ウイルス〈HIV〉
- b.天然痘ウイルス
- c.炭疽菌
- d.ペスト菌
- e.ボツリヌス菌
対話形式の解説
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ドクターまとめ
バイオテロに使われやすい病原体は、致死率が高く少量で感染する、エアロゾル散布やヒトからヒトへの伝播で一度に多数に被害を出せる、培養・保存が容易、診断や集団予防が難しいといった条件を備えています。米国CDCのカテゴリーAには炭疽、ボツリヌス症、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱が含まれ、炭疽菌は芽胞による散布のしやすさ、ボツリヌス毒素は微量での強毒性、ペストと天然痘はヒトからヒトへの伝播と高い致死率が脅威となります。一方HIVは性的接触・血液・母子感染に限られ、感染力が低く発症まで長期間かかるため、バイオテロには不向きです。地域や季節にそぐわない疾患の集団発生や異常な感染経路はバイオテロを疑う手がかりであり、病原体の特性を条件から理解しておくことが、健康危機管理における初動対応の土台になります。
解答・解説
正解はaです
バイオテロ(生物テロ)とは、病原体やそれが産生する毒素を意図的に散布し、多数の人々に被害を与え、社会に混乱や恐怖を引き起こす行為である。 テロに使われやすい病原体には共通する条件がある。主なものは、(1) 少量で感染・発症し、致死率が高い、(2) 潜伏期が短く、短期間に多数の患者が出る、(3) エアロゾル(空気中に漂う微粒子)などの形で広範囲に散布しやすい、あるいはヒトからヒトへ広がる、(4) 培養・大量生産・保存が比較的容易で、環境中で安定している、(5) 迅速な診断法や、集団に使える有効なワクチン・治療が乏しい、(6) 社会に強い不安を与える、などである。 米国疾病予防管理センター(CDC)は、こうした観点から病原体をカテゴリーA〜Cに分類しており、最も危険性の高いカテゴリーAには炭疽、ボツリヌス症(ボツリヌス毒素)、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱(エボラ、マールブルグ、ラッサなど)が含まれる。選択肢のうち天然痘ウイルス、炭疽菌、ペスト菌、ボツリヌス菌はすべてこれに該当する。 一方、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)は性的接触・血液・母子感染でしか伝播せず、空気感染や飛沫感染を起こさない。感染力も低く、感染から後天性免疫不全症候群(AIDS)の発症までは無治療でも平均10年程度かかるため、短期間に大量の被害を生じさせる目的には適さない。したがって、バイオテロに用いられるおそれがないのはHIVである。
選択肢考察
- ○a. ヒト免疫不全ウイルス〈HIV〉
HIVは血液、精液・腟分泌液、母乳を介して感染し、空気感染や飛沫感染はしない。環境中では不安定で、感染力も低い(HIV陽性血液による針刺し事故での感染率は約0.3%とされる)。さらに感染から免疫不全が進行してAIDSを発症するまで無治療でも平均約10年を要し、現在は抗レトロウイルス療法で発症を抑えることもできる。散布が難しく、即効性もないため、バイオテロには不向きであり、CDCのバイオテロ病原体の分類にも含まれていない。したがって本問の正解である。
- ×b. 天然痘ウイルス
天然痘(痘瘡)は痘瘡ウイルスによる感染症で、飛沫・接触、条件によっては空気感染でヒトからヒトへ広がり、致死率は約30%と高い。1980年にWHO(世界保健機関)が根絶を宣言し、以後は定期予防接種(種痘)が行われていないため、現在は多くの人が免疫をもたない。ウイルスは公式には米国とロシアの研究施設にのみ保管されているが、流出すれば大流行を起こしうるため、CDCカテゴリーAに含まれ、最も警戒される病原体の一つである。
- ×c. 炭疽菌
炭疽菌(Bacillus anthracis)はグラム陽性の芽胞形成桿菌である。芽胞は乾燥や熱に強く長期間保存でき、粉末にして散布しやすい。芽胞を吸い込むと吸入炭疽(肺炭疽)となり、縦隔リンパ節腫大(胸部X線での縦隔拡大)を伴う重篤な病態で、治療しなければ致死率が非常に高い。ヒトからヒトへは基本的に感染しないが、散布による大量曝露が可能である。2001年の米国での郵便物を用いた炭疽菌事件や、1993年に日本でオウム真理教が散布を試みた事件(亀戸事件)などの実例があり、CDCカテゴリーAに含まれる。
- ×d. ペスト菌
ペスト菌(Yersinia pestis)はグラム陰性桿菌で、本来はノミを介してげっ歯類からヒトへ感染し、リンパ節が腫れる腺ペストを起こす。エアロゾルとして散布されると肺ペストとなり、これは飛沫でヒトからヒトへ感染し、短い潜伏期で急速に進行し、治療が遅れると致死率がきわめて高い。歴史的に生物兵器として使用・研究された経緯もあり、CDCカテゴリーAに含まれる。
- ×e. ボツリヌス菌
ボツリヌス菌(Clostridium botulinum)が産生するボツリヌス毒素は、神経筋接合部でアセチルコリンの放出を阻害して弛緩性麻痺を起こす、既知の物質のなかで最も毒性の強いものの一つである。ごく微量で致死的となり、食品への混入やエアロゾルでの散布が想定される。症状は複視・眼瞼下垂・嚥下障害などの脳神経麻痺から始まり、下行性に進行して呼吸筋麻痺に至る。ヒトからヒトへはうつらないが、極めて少量で大きな被害を生じうるため、ボツリヌス症(毒素)はCDCカテゴリーAに含まれる。
CDCによるバイオテロ病原体の分類(概要)
・カテゴリーA:散布や伝播が容易、致死率が高い、社会的混乱が大きく公衆衛生上特別な準備が必要なもの。炭疽、ボツリヌス症、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱(エボラ出血熱、マールブルグ病、ラッサ熱など)。 ・カテゴリーB:散布は比較的容易だが、罹患率は中等度、致死率は低めのもの。ブルセラ症、Q熱、鼻疽、類鼻疽、オウム病、発疹チフス、ウイルス性脳炎(ベネズエラウマ脳炎など)、リシン毒素、ブドウ球菌エンテロトキシンB、食品を介する病原体(サルモネラ、赤痢菌、腸管出血性大腸菌O157など)、水を介する病原体(コレラ菌、クリプトスポリジウムなど)。 ・カテゴリーC:新興感染症の病原体で、将来的に大量生産・散布が可能となりうるもの。ニパウイルス、ハンタウイルスなど。
バイオテロを疑う手がかり
・通常その地域・季節にみられない疾患の発生(例:根絶された天然痘の患者) ・同じ時間・場所に曝露したとみられる集団での同時多発的な発症 ・通常と異なる感染経路(例:吸入炭疽、肺ペストの集積) ・動物でも同時に死亡がみられる
日本での法的枠組み
感染症法では、バイオテロへの悪用を防ぐ目的で病原体等を一種〜四種の「特定病原体等」に分類し、所持・輸入・運搬などを規制している。一種病原体等には痘瘡ウイルスやエボラウイルスなどが、二種病原体等には炭疽菌、ペスト菌、ボツリヌス菌、ボツリヌス毒素などが含まれる。また、生物兵器禁止条約に基づく国内法により生物兵器の開発・製造・保有は禁止されている。
主な病原体の治療・予防
・炭疽:シプロフロキサシンやドキシサイクリンなどの抗菌薬。曝露後予防にも用いる。 ・ペスト:ストレプトマイシン、ゲンタマイシン、ドキシサイクリンなど。肺ペスト患者は飛沫予防策を行う。 ・ボツリヌス症:抗毒素(ウマ血清由来)の早期投与と、呼吸管理を含む支持療法。 ・天然痘:ワクチン(種痘)が曝露後早期(数日以内)の接種でも発症予防・軽症化に有効とされる。
POINT
・バイオテロに使われやすい病原体:高い致死率、少量で感染、散布が容易(エアロゾル化・ヒト‐ヒト感染)、培養・保存が容易、診断・予防が困難。 ・CDCカテゴリーA:炭疽、ボツリヌス症、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱。 ・HIVは感染経路が限られ(性的接触・血液・母子)、感染力が低く、発症まで長期間かかるためバイオテロには不向き。 ・炭疽菌とボツリヌス菌はヒトからヒトへは感染しないが、大量散布・微量で強毒という点で脅威となる。
