否認から受容へ―「死ぬ瞬間」が変えたターミナルケアと、医学史に名を刻んだ人々
第101回医師国家試験 C問題 第50問
国試問題にチャレンジ
死にゆく人の心の動きを,否認,怒り,取引き,抑うつ,受容の5段階で表し,ターミナルケアの在り方に影響を与えた作品“On death and dying”(死ぬ瞬間)の著者は誰か。
- a.Mother Teresa(マザー・テレサ)
- b.William Osler(ウィリアム・オスラー)
- c.Helen Adams Keller(ヘレン・アダムス・ケラー)
- d.Albert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)
- e.Elisabeth Kubler-Ross(エリザベス・キュブラー-ロス)
対話形式の解説
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ドクターまとめ
「否認→怒り→取引き→抑うつ→受容」という死の受容過程は、精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが末期患者への面接をもとに1969年の著作『On Death and Dying(死ぬ瞬間)』で示したモデルで、ターミナルケアの考え方を広く社会に浸透させました。段階は必ずしも順序どおりに進まず、行き来や重なりがあり、患者を分類するためではなく心の動きを理解する手がかりとして用いることが重要です。近代ホスピスの創始者で「全人的苦痛」を提唱したシシリー・ソンダースとは区別して覚えましょう。オスラーは臨床医学教育、シュバイツァーはアフリカでの医療と「生命への畏敬」、マザー・テレサはインドでの救済活動、ヘレン・ケラーは障害者福祉と、それぞれの業績を一つずつ結びつけておくと確実です。終末期患者の心理を理解することは、悪い知らせの伝え方や緩和ケアなど、あらゆる診療科での患者との関わりの基盤になります。
解答・解説
正解はeです
終末期医療(ターミナルケア)の考え方に大きな影響を与えた人物を問う、医学史・医療倫理の一般教養問題である。 問題文にある「否認→怒り→取引き→抑うつ→受容」という5段階は、死にゆく患者の心理過程を示したモデルとして広く知られ、提唱者の名を冠して「キューブラー・ロスの5段階(死の受容過程)」と呼ばれる。スイス生まれで米国に渡った精神科医エリザベス・キューブラー・ロスは、約200人の末期患者との面接をもとに1969年に『On Death and Dying』(邦題『死ぬ瞬間』)を著した。当時の病院では死が話題にされることが少なく、末期患者は病名も知らされないまま孤立しがちであった。この著作は、死にゆく人の声に耳を傾けることの重要性を医療者と一般社会に強く訴え、その後のターミナルケアや緩和ケアの発展に大きく寄与した。 他の選択肢の人物も医療・福祉の歴史に名を残しているが、それぞれ業績の分野が異なる。各人物の代表的な業績を一つずつ結びつけておけば、確実に正解できる。
選択肢考察
- ×a. Mother Teresa(マザー・テレサ)
誤り。マザー・テレサ(1910〜1997)は、現在の北マケドニアのスコピエに生まれたカトリックの修道女である。インドのコルカタ(旧カルカッタ)で「神の愛の宣教者会」を創設し、貧困者・病者・孤児の救済に生涯をささげた。行き倒れの人が最期を穏やかに迎えられる施設「死を待つ人々の家」を開いたことでも知られ、死にゆく人に寄り添う実践をした人物ではあるが、5段階モデルを示した著作の著者ではない。1979年にノーベル平和賞を受賞した。
- ×b. William Osler(ウィリアム・オスラー)
誤り。ウィリアム・オスラー(1849〜1919)はカナダ出身の内科医で、ジョンズ・ホプキンス大学の初代内科教授を務め、のちに英国オックスフォード大学の欽定医学教授となった。病棟での臨床実習(ベッドサイド教育)や研修医制度を確立し、「近代臨床医学教育の父」と呼ばれる。「医学は科学に基づくアートである」という言葉に代表されるように、患者を全人的に診る姿勢を説いた。感染性心内膜炎でみられる有痛性の皮膚結節「Osler結節」や、遺伝性出血性毛細血管拡張症(Osler-Weber-Rendu病)に名を残している。
- ×c. Helen Adams Keller(ヘレン・アダムス・ケラー)
誤り。ヘレン・ケラー(1880〜1968)は米国の著述家・社会福祉活動家である。1歳半ごろの熱性疾患により視覚と聴覚を失ったが、家庭教師アン・サリヴァンの指導によって言葉を獲得し、大学を卒業した。その後は視覚・聴覚障害者の教育や福祉の向上のため世界各地で講演・活動を行い、日本にも複数回訪れて障害者福祉の発展に影響を与えた。終末期患者の心理に関する著作とは関係がない。
- ×d. Albert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)
誤り。アルベルト・シュバイツァー(1875〜1965)は、当時ドイツ領であったアルザス地方出身の神学者・哲学者・音楽家(オルガン奏者、バッハ研究者)であり、30歳を過ぎてから医学を学んで医師となった。1913年からアフリカ・ガボンのランバレネに病院を開いて現地の医療に尽くし、「密林の聖者」と呼ばれた。「生命への畏敬」という倫理思想を唱え、1952年にノーベル平和賞を受賞している。5段階モデルの著者ではない。
- ○e. Elisabeth Kubler-Ross(エリザベス・キュブラー-ロス)
正しい。エリザベス・キューブラー・ロス(1926〜2004)はスイス生まれで、のちに米国で活動した精神科医である。シカゴ大学病院などで末期患者への面接(「死とその過程」についてのセミナー)を重ね、その記録と分析をまとめた『On Death and Dying(死ぬ瞬間)』を1969年に発表した。この中で、死が避けられないことを知った患者の心理が、否認と孤立→怒り→取引き→抑うつ→受容という段階をたどりうることを示した。この著作は医療界だけでなく一般社会にも大きな反響を呼び、死にゆく患者の心理を理解し支えるターミナルケアの考え方を広めるうえで大きな役割を果たした。なお、晩年は死後の生や臨死体験の研究に傾倒したことでも知られる。
キューブラー・ロスの死の受容過程(5段階)
1. 否認(と孤立):「何かの間違いだ」と事実を受け入れられない段階。衝撃から心を守る一時的な防衛としてはたらく。 2. 怒り:「なぜ自分が」という怒りが生じ、家族や医療者に向けられることもある。医療者は怒りを個人攻撃と受け取らず、背景にある苦しみを理解することが大切である。 3. 取引き:「よい行いをするから、もう少し生かしてほしい」など、神や運命と交渉しようとする段階。 4. 抑うつ:病状の進行や喪失を実感し、深い悲しみに沈む段階。 5. 受容:死を静かに受け止め、穏やかさを得る段階。 これらは必ずしも順番どおりに進むわけではなく、段階が行き来したり重なったりし、すべての人が受容に至るわけでもない。またどの段階でも「希望」は保たれうるとされる。モデルを患者に当てはめて評価するのではなく、患者の心の動きを理解する手がかりとして用いることが重要である。
ターミナルケア・緩和ケアの歴史に関わる人物
・シシリー・ソンダース(英国):1967年にロンドンに近代ホスピスの原点とされる聖クリストファー・ホスピスを設立。身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな苦痛を合わせた「全人的苦痛(total pain)」の概念を提唱した。 ・キューブラー・ロス(米国):死にゆく患者の心理過程を示し、ターミナルケアの考え方を社会に広めた。
医学史でよく問われる人物の例
・ナイチンゲール:近代看護の確立、統計による衛生改革 ・ヒポクラテス:医の倫理(ヒポクラテスの誓い) ・オスラー:臨床医学教育(ベッドサイド教育) ・シュバイツァー:アフリカでの医療活動、「生命への畏敬」
POINT
・「否認→怒り→取引き→抑うつ→受容」の5段階=キューブラー・ロス『死ぬ瞬間(On Death and Dying)』(1969年) ・段階は順序どおりに進むとは限らず、行き来や重なりがある ・近代ホスピスの創始者はシシリー・ソンダース(聖クリストファー・ホスピス、全人的苦痛) ・オスラー=臨床医学教育、シュバイツァー=アフリカ医療・「生命への畏敬」、マザー・テレサ=インドでの救済活動
