白く埋まった左胸、聴診器が拾うのは「静けさ」―左肺全摘後の胸を診察する
第100回医師国家試験 D問題 第8問
国試問題にチャレンジ
64歳の女性。肺癌に対して左肺全摘術を受け,経過観察のため術後7か月に来院した。胸部エックス線写真を別に示す。 この患者で認めるのはどれか。

- a.チアノーゼ
- b.頸静脈怒張
- c.肺肝境界消失
- d.心濁音界拡大
- e.左胸部呼吸音減弱
対話形式の解説
ドクター
医学生
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医学生
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ドクターまとめ
肺全摘後の全摘腔は、数か月かけて滲出液と線維組織で満たされるため、胸部エックス線写真では患側が均一な不透過像となり、腔の縮小に伴って縦隔・気管が患側へ偏位し、患側横隔膜が挙上し、健側肺は代償性に過膨張します。左肺全摘後であれば左胸部には換気される肺がないため呼吸音が減弱し、打診では濁音となります。チアノーゼは高度の低酸素血症、頸静脈怒張は右房圧上昇、肺肝境界消失は腹腔内遊離ガス、心濁音界拡大は心拡大や心嚢液の所見であり、術後安定期の本例には当てはまりません。全摘腔の液面低下や縦隔の健側偏位は気管支断端瘻や膿胸を示す重要な異常サインです。画像所見を解剖学的変化として理解し、身体診察と結びつける力は、呼吸器診療の基本となります。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
64歳の女性で、肺癌に対して左肺全摘術を受けてから7か月が経過し、経過観察のため受診している。症状の悪化を示す記載はなく、術後の安定した状態と考えられる。 胸部エックス線写真では次の所見を認める。 ・左胸郭はほぼ全体が均一な不透過像(白い陰影)で、肺血管影がない。全摘後の空間(全摘腔)は、術後数か月の間に滲出液の貯留とその後の線維化で満たされるため、このように見える。 ・気管と縦隔(心陰影)が左(患側)へ大きく偏位している。全摘腔の容積が縮小していく過程で、縦隔が引き寄せられた結果である。 ・左横隔膜が挙上しており、胃泡が高い位置にみえる。 ・右肺は透過性が高く、代償性に過膨張しており、その一部は正中を越えて左側へ張り出している(縦隔ヘルニア)。右横隔膜はやや低い。
考え方
本問は、画像から推定される左肺全摘後の解剖学的変化が、身体診察でどう現れるかを問うている。左胸腔には換気される肺がほとんどないため、左胸部で聴取される呼吸音は弱くなる。一方、全身状態は安定しており、低酸素血症や心不全、腹腔内の遊離ガスを示す所見はないので、それらの病態に伴う所見は選ばない。
選択肢考察
- ×a. チアノーゼ
チアノーゼは、毛細血管内の還元ヘモグロビン(酸素と結合していないヘモグロビン)がおおむね5g/dL以上に増えたときに、口唇や爪床が青紫色にみえる所見であり、高度の低酸素血症を示す。片肺全摘後でも、術前の肺機能評価で残存肺の機能が十分と判断されて手術が行われており、右肺が代償している。術後7か月の定期受診で安静時にチアノーゼを呈するとは考えにくい。
- ×b. 頸静脈怒張
頸静脈怒張は、右房圧(中心静脈圧)の上昇を反映する所見で、右心不全、心タンポナーデ、収縮性心膜炎、上大静脈症候群、緊張性気胸などでみられる。本例は経過観察目的の受診で、心不全や上大静脈の閉塞を示唆する情報はない。全摘後は肺血管床が半分になるため長期的に肺高血圧から右心不全をきたすことはありうるが、本症例で推定すべき所見ではない。
- ×c. 肺肝境界消失
肺肝境界は、右前胸部を上から打診したとき、含気のある肺の清音から肝臓の濁音へ変わる位置であり、通常は右鎖骨中線上の第6肋間付近にある。これが消失する代表的な病態は、腹腔内の遊離ガス(消化管穿孔など)が肝臓の前面に入り込み、肝濁音が鼓音に置き換わる場合である。本例は右肺が温存され過膨張しているため、肺肝境界はむしろ下方へ移動することはあっても消失はしない。右肺全摘後であれば右胸部が濁音となり、境界ははっきりしなくなる。
- ×d. 心濁音界拡大
心濁音界の拡大は、心拡大や心嚢液貯留を示唆する打診所見である。本例では心臓自体が大きくなっているわけではない。左肺全摘後の左胸部は全摘腔の液体・線維組織のため全体が濁音となり、心臓による濁音の範囲を区別できない(心濁音界が不明瞭になる)。むしろ過膨張した右肺が心臓の前面に張り出しているため、胸骨付近では清音となることもある。心濁音界拡大という所見には当たらない。
- ○e. 左胸部呼吸音減弱
左肺は切除されており、左胸腔は液体と線維組織で満たされている。換気される肺組織がないため、左胸部の呼吸音は減弱する。過膨張した右肺が正中を越えて左側に張り出しているため、左前胸部の一部で弱い呼吸音が聞こえることはあるが、健常な左肺があるときと比べると明らかに弱い。左肺全摘後の診察所見として妥当である。
肺全摘術後の胸郭の変化
・術直後の全摘腔は空気で満たされるが、数日から数週のうちに滲出液が貯留して液面(鏡面像)が上昇し、数か月で腔全体が液体と線維組織で満たされる。胸部エックス線写真では患側が均一に白くなる。 ・全摘腔の縮小に伴い、縦隔と気管は患側へ偏位し、患側の横隔膜は挙上し、肋間は狭くなる。 ・健側肺は代償性に過膨張し、前縦隔を越えて患側へ張り出すことがある(縦隔ヘルニア)。 ・術後早期に気管支断端瘻(気管支断端がうまく閉じず、全摘腔と気道がつながる状態)や膿胸を起こすと、液面が急に低下したり、縦隔が健側へ偏位したりする。これは重要な異常所見である。 ・右肺全摘後に縦隔が大きく偏位・回転して気管支が圧迫される状態を肺全摘後症候群(postpneumonectomy syndrome)という。
胸部の身体所見と病態の対応
・呼吸音の減弱:肺の含気が乏しい(無気肺、肺切除後)、胸膜腔に空気や液体がある(気胸、胸水)、肺の過膨張(肺気腫)など。 ・打診の濁音:胸水、無気肺、肺炎(浸潤影)、全摘腔の液体貯留。打診の鼓音:気胸、過膨張。 ・肺肝境界の下降:肺気腫などの過膨張。肺肝境界(肝濁音界)の消失:腹腔内遊離ガス。 ・頸静脈怒張:右心不全、心タンポナーデ、収縮性心膜炎、上大静脈症候群、緊張性気胸。
肺切除術の適応判断
術前に呼吸機能検査で残存肺の機能を予測し、予測術後1秒量や予測術後肺拡散能が十分に保たれていることを確認してから手術を行う。そのため、術後安定期に安静時の低酸素血症を呈することは通常ない。
POINT
・左肺全摘後の胸部エックス線写真:左胸郭の均一な不透過像、縦隔・気管の患側(左)偏位、左横隔膜挙上、右肺の代償性過膨張。 ・身体所見:左胸部の呼吸音減弱、左胸部の打診濁音。 ・肺肝境界消失は腹腔内遊離ガスの所見、心濁音界拡大は心拡大・心嚢液の所見、頸静脈怒張は右房圧上昇の所見であり、全摘後の安定した状態では認めない。 ・全摘腔の液面が急に下がる、縦隔が健側へ移る場合は気管支断端瘻や膿胸を疑う。
