「ヒヤリ」を隠さない勇気―インシデントレポートは誰のためにあるのか
第112回医師国家試験 E問題 第2問
国試問題にチャレンジ
インシデントレポートについて正しいのはどれか。
- a.患者に実害がない場合でも提出する。
- b.都道府県ごとに報告様式が定められている。
- c.医療事故について上司に説明するためのものである。
- d.医療事故の責任の所在を明らかにすることが目的である。
- e.インシデントレポートの提出件数が少ないほど医療の質が高い。
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
インシデントレポートは、患者に実害が及ばなかったヒヤリ・ハット事例を含めて組織で収集・分析し、再発防止策を立てて共有するための報告であり、実害がなくても提出します。目的はシステムの改善であって、上司への弁明や責任追及ではなく、報告者を責めない非懲罰的な文化があって初めて機能します。様式は各医療機関が定めるもので都道府県単位の統一様式はなく、提出件数の少なさは医療の質の高さを意味しません。Heinrichの法則やスイスチーズモデル、フールプルーフ・フェイルセーフ、根本原因分析といった考え方とあわせて理解すると、医療安全の全体像がつかめます。誰もが誤りうるという前提に立つこの姿勢は、臨床実習から研修医、その先まで医師として働くうえでの基本となります。
解答・解説
正解はaです
問われているテーマ
医療安全管理の基本的な仕組みであるインシデントレポートの目的と性質が問われている。
インシデントとアクシデント
・インシデント:誤った医療行為が患者に実施される前に気づいた、あるいは実施されたが患者に実害が生じなかった事例。いわゆる「ヒヤリ・ハット」に当たる。 ・アクシデント(医療事故):医療に関わる場所で、医療の過程において患者に何らかの被害が生じた事例。医療者の過失の有無は問わない。 実害の程度によってレベル0(実施前に気づいた)からレベル5(死亡)までに区分し、同じ報告制度の中で扱う施設も多い。
インシデントレポートの目的
インシデントレポートは、起きた事例やその手前の事例を組織で集めて分析し、再発防止策を立てて共有するための報告である。重大な事故の背後には、多数の軽微な事故と、さらに多数の「ヒヤリ・ハット」が隠れているとされる(Heinrichの法則:重大事故1件の背後に軽微な事故29件、ヒヤリ・ハット300件)。被害が出る前の小さな事例を拾い上げて対策を講じることが、重大事故の予防につながる。
正解を導く考え方
重要なのは、個人の責任を追及するためではなく、システムの改善のための報告だという点である。人は誰でも誤りを犯すという前提に立ち、誤りが起きにくく、起きても被害に至らない仕組みをつくることを目指す。報告者を責めない文化(非懲罰的な報告文化)があって初めて報告が集まり、分析が可能になる。この考え方に沿って各選択肢を判断すればよい。
選択肢考察
- ○a. 患者に実害がない場合でも提出する。
インシデントとは、もともと患者に実害が及ばなかった事例、あるいは誤りが実施される前に気づかれた事例を指す。実害がなくても、同じ状況が繰り返されれば重大な事故につながりうる。こうした事例を報告して原因を分析し、対策を共有することこそインシデントレポートの役割である。実害がない事例こそ積極的に報告すべきである。
- ×b. 都道府県ごとに報告様式が定められている。
インシデントレポートの様式は、都道府県などの行政単位で定められたものではない。各医療機関が医療安全管理体制の一環として独自に定めるのが一般的で、施設によって様式は異なる。病院グループ内などで様式を統一している例はある。なお、医療機関全体を対象とした全国的な事例収集の仕組みとしては、日本医療機能評価機構による医療事故情報収集等事業があるが、これは都道府県ごとの様式ではない。
- ×c. 医療事故について上司に説明するためのものである。
インシデントレポートは、個人が上司に弁明や説明をするための書類ではない。病院の医療安全管理部門や医療安全管理委員会に集められ、事例の分析と組織全体での再発防止策の立案・共有に用いられる。事後の始末書のように扱うと、報告がためらわれて本来の目的が果たせなくなる。
- ×d. 医療事故の責任の所在を明らかにすることが目的である。
目的は再発防止と医療の安全性の向上であり、責任追及ではない。事故の多くは個人の不注意だけでなく、業務手順、薬剤の表示や外観の類似、人員配置、情報伝達の仕組みなど、システム上の要因が重なって起きる。報告を責任追及や人事評価に用いると、報告が控えられ、組織に問題が隠れたままになる。そのため、報告者に不利益が及ばないよう配慮することが求められる。
- ×e. インシデントレポートの提出件数が少ないほど医療の質が高い。
提出件数の少なさは、インシデントが少ないことを意味するとは限らない。単に報告されていない、つまり報告文化が根づいていないだけの可能性がある。むしろ報告が多い組織ほど、職員の安全意識が高く、問題が見えやすくなっているとも考えられる。件数だけで医療の質を評価することはできない。報告を分析して改善につなげることで、結果として医療の質が高まる。
医療安全に関する主な考え方
・Heinrichの法則:重大事故1:軽微な事故29:ヒヤリ・ハット300。小さな事例の段階で対策をとる重要性を示す。 ・スイスチーズモデル(Reason):複数ある防護策の穴(弱点)が偶然すべて重なったときに事故が起きるという考え方。個人ではなくシステム全体で防ぐ。 ・フールプルーフ(誤った操作ができない仕組み。例:接続部の形状が異なり、誤接続できないチューブ)、フェイルセーフ(故障や誤りがあっても安全側に働く仕組み)。 ・根本原因分析(RCA:root cause analysis):事例の背後にあるシステム上の根本原因を明らかにする分析手法。
医療事故の報告に関わる公的な仕組み
・医療事故情報収集等事業:日本医療機能評価機構が、医療事故やヒヤリ・ハット事例を収集・分析し、医療安全情報などとして公表する。特定機能病院などには事故報告が義務づけられている。 ・医療事故調査制度(2015年開始):医療に起因し、管理者がその死亡・死産を予期しなかったものについて、医療機関が医療事故調査・支援センターへ報告し、院内調査を行う。この制度も責任追及ではなく再発防止を目的とする。
医療機関における体制
医療法により、病院などの管理者には医療安全管理のための指針の整備、委員会の開催、職員研修、事故報告などによる改善のための方策の実施が求められている。インシデントレポート制度はその中核をなす。
POINT
・インシデントは患者に実害がなかった事例(ヒヤリ・ハット)であり、実害がなくても報告する。 ・目的は事例の共有と再発防止(システムの改善)であり、個人の責任追及ではない。 ・様式は各医療機関が定める。都道府県単位の統一様式はない。 ・提出件数が少ないことは医療の質が高いことを意味しない。報告しやすい文化が安全につながる。 ・Heinrichの法則、スイスチーズモデルとあわせて理解する。
