鼻すすりが中耳の骨を溶かす―鼓膜の上の小さな凹みに潜む真珠腫
第115回医師国家試験 D問題 第56問
国試問題にチャレンジ
52歳の女性。左耳の難聴を主訴に来院した。3年前から左難聴を自覚していたがそのままにしていた。それまで耳は良く聴こえていた。半年前からは難聴が増悪し,日常生活に支障が出るようになったので受診した。小児期から現在まで,耳痛,耳漏の自覚はない。5年前からアレルギー性鼻炎の診断で治療中である。以前から鼻すすり癖を指摘されている。純音聴力検査では中等度の左伝音難聴を認めた。側頭骨CTでは左上鼓室および耳小骨周囲に病変を認め,中頭蓋底に骨欠損を認めた。 下に示す左鼓膜写真(①~⑤)の中でこの患者の鼓膜写真として最も適切なのはどれか。

- a.①
- b.②
- c.③
- d.④
- e.⑤
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
鼻すすりや耳管機能不全で中耳腔に陰圧が続くと、線維層の乏しい鼓膜弛緩部が上鼓室側へ陥凹し、そこに角化上皮がたまって弛緩部型真珠腫が生じます。真珠腫は腫瘍ではありませんが骨を破壊しながら増大し、耳小骨破壊による伝音難聴のほか、半規管瘻孔、顔面神経麻痺、鼓室天蓋破壊による頭蓋内合併症をきたしえます。鼓膜所見では弛緩部の陥凹、上鼓室外側壁の破壊による耳小骨の透見、痂皮や白色塊が手がかりで、正常鼓膜、滲出性中耳炎(陥凹・滲出液・液面)、急性中耳炎(発赤・膨隆)、慢性穿孔性中耳炎(穿孔・石灰化)との区別が重要です。診断にはCTでの骨破壊評価とMRI拡散強調像が有用で、治療は鼓室形成術などの手術です。症状が乏しくても骨を壊す中耳炎があることを知り、鼓膜の上方まで丁寧に観察する姿勢が求められます。
解答・解説
正解はbです
所見の整理
・52歳の女性。3年前から左耳の難聴があり、半年前から悪化して日常生活に支障をきたしている(緩徐に進行する一側性難聴)。それ以前の聴力は正常だった。 ・小児期から現在まで耳痛・耳漏はなく、反復する急性中耳炎や慢性化膿性中耳炎の既往はうかがえない。 ・5年前からアレルギー性鼻炎で治療中で、以前から鼻すすりの癖がある。 ・純音聴力検査:左の中等度伝音難聴(外耳・鼓膜・耳小骨など音を伝える経路の障害)。 ・側頭骨CT:左上鼓室(鼓室の上部で、ツチ骨頭・キヌタ骨体が収まる部分)と耳小骨周囲に病変があり、中頭蓋底(中耳の天井にあたる鼓室天蓋)に骨欠損を認める。
診断へのプロセス
中耳に生じて骨を破壊しながら広がる病変として、真珠腫性中耳炎のほか、中耳癌・外耳道癌、中耳結核などが挙げられる。本例は年単位で緩徐に進行し、耳痛・耳漏・出血がなく、病変が上鼓室を中心に耳小骨周囲にあることから、真珠腫性中耳炎、特に鼓膜の弛緩部から生じる弛緩部型真珠腫が最も考えやすい。 鼻すすりは、上咽頭と中耳をつなぐ耳管を通じて中耳腔に強い陰圧を生じさせる。この陰圧が長く続くと、鼓膜のうち線維層が乏しく薄い弛緩部(ツチ骨短突起より上方の部分)が上鼓室側へ引き込まれて陥凹し(ポケット形成)、その中に角化した上皮の垢(ケラチン)がたまって真珠腫となる。アレルギー性鼻炎による鼻閉は、耳管機能の低下と鼻すすりの習慣の両方を通じて、この過程を促す背景となる。 真珠腫は周囲の骨を溶かしながら増大するため、耳小骨(特にキヌタ骨長脚やアブミ骨上部構造)が破壊されて伝音難聴が進行し、上鼓室の外側壁(scutum)や鼓室天蓋も破壊される。本例のCTでみられる中頭蓋底の骨欠損はこの骨破壊によるもので、さらに進行すると髄膜炎・脳膿瘍などの頭蓋内合併症の危険がある。
設問の考え方
弛緩部型真珠腫の鼓膜所見は、弛緩部の陥凹・上鼓室外側壁の破壊(上鼓室が拡大して本来見えない耳小骨が透見される)、陥凹部に付着する痂皮や白色の真珠腫塊である。5枚の鼓膜写真のうち、この所見を示すものを選ぶ。他の写真は、正常鼓膜、滲出性中耳炎、急性中耳炎、慢性穿孔性中耳炎の典型像であり、それぞれの特徴を区別できることが求められる。
選択肢考察
- ×a. ①
①は正常鼓膜である。鼓膜は半透明の真珠様灰白色で、ツチ骨柄が上方から鼓膜の中心(臍部)へ向かって透見され、前下象限に光錐(反射光)がみられる。弛緩部の陥凹や穿孔、発赤はない。CTで骨破壊を伴う病変がある本例の所見には合致しない。
- ○b. ②
②では、鼓膜上方の弛緩部が高度に陥凹し、上鼓室の外側壁が破壊されて上鼓室が拡大しているため、通常は鼓膜越しに見えないツチ骨頭(体部)やキヌタ骨体が観察される。さらにキヌタ骨長脚が欠損しており、真珠腫による耳小骨の破壊を示している。これは弛緩部型真珠腫性中耳炎の所見で、伝音難聴の進行、CTでの上鼓室・耳小骨周囲の病変と骨欠損という本例の経過に一致する。なお、陥凹部には痂皮や白色の角化物(真珠腫塊)が付着していることも多い。
- ×c. ③
③は滲出性中耳炎の鼓膜である。鼓膜が全体に内側へ陥凹して光錐が消失し、ツチ骨柄が強調されて見え、鼓室内に黄色〜琥珀色の滲出液が透見される。後上象限などに液面形成(ニボー)や気泡がみられるのも特徴である。滲出性中耳炎は伝音難聴をきたすが、骨破壊は起こさないため、CTの骨欠損は説明できない。
- ×d. ④
④は軽度の急性中耳炎の鼓膜である。外耳道後壁からツチ骨短突起・ツチ骨柄に沿って発赤(充血)がみられるが、鼓膜の膨隆や膿の貯留は目立たない。急性中耳炎は通常、急性の耳痛や発熱で発症し、年単位で進行する難聴の経過とは異なる。典型的な急性中耳炎では骨破壊はきたさない。
- ×e. ⑤
⑤は慢性穿孔性中耳炎(慢性化膿性中耳炎)の鼓膜である。前下象限に鼓膜穿孔があり、前上・後上象限の白色部分は慢性炎症の結果生じた石灰化(鼓室硬化)である。小児期からの中耳炎の反復などを背景とし、伝音難聴と反復する耳漏を特徴とする。周囲の骨が硬化することはあるが、真珠腫のような進行性の骨破壊は通常きたさない。本例は耳漏の既往もなく合致しない。
真珠腫性中耳炎の分類
・後天性真珠腫 弛緩部型:鼓膜弛緩部の陥凹から生じ、上鼓室に進展する。最も多い。 緊張部型:鼓膜緊張部(主に後上象限)の陥凹から生じ、鼓室洞などへ進展する。 二次性:鼓膜穿孔の縁から上皮が中耳腔へ侵入して生じる。 ・先天性真珠腫:鼓膜に異常がなく、胎生期の上皮遺残から中耳腔(前上象限付近に多い)に白色塊として生じる。小児に多い。
病態
真珠腫は、角化した重層扁平上皮が中耳腔内で袋状に増殖し、内部にケラチンの落屑物がたまった病変である。腫瘍ではないが、周囲の炎症や酵素によって骨を吸収・破壊しながら増大する。後天性真珠腫の主な成因は、耳管機能不全や鼻すすりによる中耳腔の陰圧と、それによる鼓膜の陥凹(陥凹説)である。
症状
伝音難聴(耳小骨破壊による)、感染を伴えば悪臭のある耳漏。初期は無症状のこともある。
合併症(骨破壊の進展)
・耳小骨破壊:キヌタ骨長脚が最も破壊されやすい。 ・外側半規管瘻孔:めまい。外耳道を加圧すると眼振・めまいが誘発される瘻孔症状。 ・顔面神経管の破壊:顔面神経麻痺 ・内耳障害:感音難聴、めまい ・鼓室天蓋(中頭蓋底)の破壊:髄膜炎、硬膜外膿瘍、脳膿瘍 ・S状静脈洞周囲の破壊:S状静脈洞血栓症
診断
耳鏡・耳内視鏡での鼓膜所見(弛緩部の陥凹、痂皮、白色塊、上鼓室外側壁の破壊)、純音聴力検査、側頭骨CT(軟部陰影と骨破壊、進展範囲の評価)。MRIの拡散強調像で真珠腫が高信号を示し、診断や術後の再発評価に有用である。
治療
根本治療は手術(鼓室形成術、乳突削開術)による真珠腫の摘出と、伝音機構の再建である。再発や遺残が少なくないため、術後も長期の経過観察を要する。
代表的な鼓膜所見のまとめ
・正常:半透明、ツチ骨柄が透見され、前下象限に光錐。 ・滲出性中耳炎:鼓膜陥凹、光錐消失、黄色〜琥珀色の滲出液、液面形成・気泡。 ・急性中耳炎:鼓膜の発赤・膨隆、膿の貯留。 ・慢性穿孔性中耳炎:鼓膜穿孔、石灰化(鼓室硬化)を伴うことがある。 ・真珠腫性中耳炎:弛緩部(または緊張部)の陥凹・ポケット形成、痂皮・白色塊、骨破壊。
POINT
・鼻すすり癖・耳管機能不全 → 中耳腔の陰圧 → 鼓膜弛緩部の陥凹 → 弛緩部型真珠腫。 ・真珠腫性中耳炎は骨を破壊する点が他の中耳炎と大きく異なり、耳小骨破壊による伝音難聴、顔面神経麻痺、半規管瘻孔、頭蓋内合併症をきたしうる。 ・CTで上鼓室・耳小骨周囲の軟部陰影+骨破壊(鼓室天蓋の欠損など)は真珠腫を示唆する。 ・鼓膜所見では、弛緩部の陥凹・上鼓室外側壁の破壊、痂皮・白色塊が真珠腫の手がかり。 ・治療は手術(鼓室形成術・乳突削開術)。
